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平成19年12月
 今月は、あるお寺のご住職様からお聞かせいただいたお話をご紹介いたします。御往生されて、もう七回忌を迎えられた男性の方のお話です。

 その方は、生前、とにかくよくお寺にお参りし、真剣に仏法をお聴聞されておられたそうです。ご住職が、お盆やお取越し報恩講などで、その方のお家にお参りされるときも、必ずご夫婦そろって後に付かれ、ご住職と一緒にお勤めをされ、いつも、その方の口からは「なまんだぶ、なまんだぶ・・・・」とお念仏がこぼれておられたそうです。
 しかし、その方もお歳を重ねるにつれ、だんだんと体が弱られ、御往生されるまでの数年間は、いわゆる認知症の状態が続き、自宅での療養が難しく、ある施設ですごされました。そうなってからは、お寺にも参れなくなり、そのご住職も大変寂しい思いをされておられたそうです。
 そんな時、その方のお父様に当たられる方の五十回忌のご法事が当家において勤められました。その頃の病状は、さらに認知症が進行し、ご自分の娘さんの顔も誰だか分からない、奥様の顔も誰だか分からないという状況で、もうご自分の足で歩くこともままならないという病状だったそうです。しかし、せっかくのお父さんのご法事です。お焼香だけでもさせてあげたいというご家族の強い思いの中、二人の娘さんに両脇を抱えられながら、ご法事のご縁に遇われたそうです。
 読経とご法話が終わり、お焼香の順番が回ってきました。ご自分の二人の娘さんに両脇を抱えられながら、お仏壇の前へと少しずつ進み出られます。自分の両脇を抱えてくれている自分の娘すら誰だか分からない状況です。おそらく、自分の父親のご法事であることも分かっておられない、自分が今からお焼香をするということも分かっておられないでしょう。そのような状況の中、ゆっくりと、娘さん達に抱えられ、なんとかお仏壇の前に座られました。なにも分かっていないお父さんに代わって娘さんがお香を摘もうとした時です。何もわかっていないはずのその方の手が、お仏壇の前に座った途端、自然と合わさり、そして、朗々とした声で「なまんだぶ、なまんだぶ・・・・」とお念仏をされたのです。そのお念仏の声は、お元気だった時と何一つ変わらないものだったそうです。

 このお話は、改めてお念仏というものが、どういうものであるのかを教えてくださるものです。「念仏」という思想は、長い仏教の歴史の中で様々に解釈されてきました。一般的には、おまじないや呪文のように考えておられる方も多いかと思います。しかし、親鸞聖人というお方は、比叡山における二十年にわたる苦行と苦悩、そして、法然上人との出会いの中で、念仏というものが、阿弥陀如来の名告り(なのり)であることに気づいていかれました。つまり、「南無阿弥陀仏」という言葉は、阿弥陀如来自身が、自分の存在とその働きとを私に告げる言葉なのです。
 「ここにお前の命の本当の親がおるぞ。お前がどのような状況に陥ろうとも私だけは、決してお前を見捨てないぞ。必ずお前を仏にする親がここにおるぞ。」
と阿弥陀如来自身が、私の口を使って私自身に、自らの存在を知らせ、その働きを告げてくださっているのです。私はただ、口からこぼれる念仏の声を聞き安心し、その親心に従ってこの命の意味と生きる方向とを開いてもらえばよいわけです。念仏を称えているということは、私の命の上に阿弥陀如来という仏が生き生きと躍動している姿ともいえます。

 私というものは、本当にいい加減なものです。平生はしっかりしていても、歳を取り認知症になれば、愛しい家族や友人のことすら忘れてしまい、自分自身すら亡くしてしまうことがあります。しかし、私が全てを忘れてしまっても、阿弥陀如来という命の親は、決して私を忘れることはありません。壊れていこうとする私をしっかりと抱きとめ、変わらぬ親心で本当の安心を与えてくださいます。重度の認知症の中でのお念仏の声は、そのことを如実に表しています。
 しかし、これは、平生に真剣に法を求めた者だけが到達できる仏道の境地ともいえるものです。ただ自分の煩悩にまみれた心に身をゆだね、仏法を求めようともせず、いたづらに命をすり減らしていくような人は、そのままただ壊れていくだけです。しかし、煩悩にまみれながらも真剣に仏法を求める者は、必ず阿弥陀如来という本当の安心に出会わせていただけるのです。

 お互い、まもなく、それぞれの形で壊れていく身です。ボケて狂って壊れていくだけの人生ほど惨めなものはありません。例えどのような状態に陥ろうとも、自然と手を合わせられるような深い安心の中で、この命を生かさせていただきたいものです。
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