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平成23年1月
  明けましておめでとうございます。今年も、御門徒の皆様と共にお念仏薫る中で、お浄土への歩みを運ばせていただきたく思っています。本年も、どうぞよろしくお願い申し上げます。
 昨年は、住職にとって、恩師の浅井先生を初め、多くのお世話になった方々と今生のお別れをさせていただいた年でもありました。凡夫の私共にとって、死による今生の別れは、やはり寂しいものです。如来様から、死が、お浄土へ生まれさせていただくご縁だと聞かされても、やはり、寂しさを拭うことは出来ません。しかし、私共のこの寂しさや悲しみこそが、如来様の働きどころでもあるのです。明治時代を代表する浄土真宗の学僧であった原口針水和上は、或る時、お同行に次のようにお話されたと伝えられています。
「お慈悲は、浅ましい煩悩の上にいただいて味わうものじゃ。ゆえにこの度の往生については、わが身をながめて、仏くさかったら往生不定じゃと思え。凡夫くさかったら、いよいよ往生一定、大丈夫と安心させてもらえよ。」
 怒りや嫉み、悲しみや喜び、それら凡夫くさい心の中で、人は、如来様のお慈悲に出遇っていくのでしょう。
 一人、一人と、お世話になった方々が、先立たれていくことは、本当に寂しいものです。歳を重ねていくということは、この寂しさを重ねていくことでもあるのです。しかし、ご往生によって、寂しさと共に、如来様のお心を響かせてくださる方は、やはり、お浄土に参られたんだなと思います。
 昨年の暮れに、突然ご往生された門徒総代の田中省信さんも、深い寂しさと共に、温かい如来様のお心を響かせてくださった方でありました。死因は、突然の事故でした。最初、知らせをいただいたときは、足に力が入らないようなショックを受けたものです。つい一週間前には、ご法座にいつものようにお参りされ、ご法座が終わると、五歳になる新発意を自宅近くの作業場に遊びに連れてくださったばかりでした。新発意に「田中さんがお浄土へ参られたよ」と伝えたとき、「もう?」と言った驚いた顔が忘れられません。本当に、いつも温かいお心で、若い住職と坊守、そして、新発意や娘をお育て下さった菩薩のような方でありました。
 阿弥陀仏の四十八願の中、第三十三願には、心身柔軟の願が誓われています。阿弥陀様のお慈悲に照らされた方は、真理に素直に頷いていく柔らかな心身がもたらされていくというのです。田中さんが、生前中、よくお話されていたのが、この心身柔軟のことでした。ご自分が、お寺に足が向きだした時のことを、よく次のようにお話されていました。
「私は、当初、総代を引き受けるつもりはありませんでした。前住職が、突然、仕事場に衣のまま来られて、来月から総代をやってくれと頼まれました。すぐに断りましたが、半ば強引に押し付けられるように帰られました。最初の会議にも出席はしませんでした。しかし、いつまでもそういうわけにもいかず、三回目の会議の時に、しぶしぶ出席したんです。その時に、他の総代さんの顔の表情に心を打たれました。何とも言えないいい顔をされてたんです。いつか、ご法座に来られた御講師の先生が言われていました。お聴聞されている方のお顔は、如来様の光が反射して、一番美しい顔をされてるって。私も本当にそう思うんです。お寺でお聴聞されてるときのお婆ちゃん達の顔ほどいいものはありません。あの何ともいえない穏やかで柔らかいお顔に惹かれて、私もだんだんとお寺が好きになっていったんです。」
 いつも、楽しそうにこんなお話をされていました。そして、ご自身も、ご法座の時、何とも言えない温かな柔らかいお顔で、お聴聞されていたことが思い出されます。ある方が、住職に「私は、田中さんがいらっしゃらなかったらお寺には来ませんでした。田中さんのお顔は、本当に幸せな人のお顔ですね。」と言われたことがあります。いつの間にか、ご自身もまた、如来様に心身共に柔らかく育てられておられたのです。そのお姿からは、法の喜びが滲み出ておられました。
 温かく柔らかい薫りと共に、お浄土へと参られた方を偲ばせていただくとき、如来様の四十八の誓いは、決して空言ではなく、事実として働いてくださっていることに頷かせていただけます。住職にとって、このようなお同行と出遇せていただくことは、何よりもの幸せです。今年も、ご法座に、たくさんの方がお参りされ、如来様のお慈悲に照らされる姿を楽しみにお待ちしています。この身に、にじみ出るような本当の喜びをいただける身にさせていただきたいものですね。
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