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平成24年10月
 先月、お盆勤めの際、ある御門徒から次のようなお話を聞かせていただきました。
「私は、重誓偈のお勤めを聞かせていただくと、何ともいえない懐かしい思いになるのです。正法寺が火事になった時、私は、まだ高校生でしたが、病気の母の代わりに、仏教婦人会の方と一緒に本堂再建のための托鉢に歩いて回らせていただきました。その時、肩から白いタスキをかけて、口には、重誓偈のお勤めをしながら、寒い中、仏教婦人会の方々と一緒に一軒一軒歩いて托鉢に回りました。重誓偈のお勤めを聞かせていただくと、あの時のことが、懐かしく思い出されます。」
 昭和三十一年十二月二十日の正法寺の大火災については、まだ、記憶に残っている方も多くいらっしゃることと思います。特に、昼間の火災であったということもあり、当時、興進小学校に通っていた方々からは、当時の凄まじい火災の様子を、よく聞かせていただくことがあります。その後、御門徒の方々が、どのような想いと御苦労をもって、本堂再建の為に奔走されたのかも、様々な方から聞かせていただいたことでした。
 当時の仏教婦人会の方々が、自らの生活も省みず、本堂再建のために奔走される中、一同に口にお勤めされていたのが、『重誓偈』というお勤めだったそうです。『重誓偈』は、『仏説無量寿経』という経典の中に説かれている偈文です。偈文というのは、定型句の韻文でつづられる詩のようなものです。親鸞聖人も、その主著『教行信証』の中で有名な『正信偈』という偈文をお作りになり、阿弥陀仏と七高僧のお徳を讃嘆していらっしゃいます。
 さて、この『重誓偈』は、「重ねて誓う」と書くように、『仏説無量寿経』の中で、阿弥陀仏の四十八の誓いが説かれた後に、重ねてもう一度、その誓いを要約して説かれたものです。阿弥陀仏の誓いは、四十八を数えますが、その中でも中心になるのが、十八番目に説かれている誓いです。この十八番目に説かれている誓いを、阿弥陀仏の根本の願いということで、本願と呼ぶのです。「本願寺」というのは、この本願から名づけられた寺号です。
 この『重誓偈』で表されていく内容も、やはり、この十八番目の誓い、本願のお心が中心となっていきます。『重誓偈』の二句目と三句目に次のような言葉が説かれています。
「われ無量劫において、大施主となりて、あまねくもろもろの貧苦を済はずは、誓ひて正覚を成らじ。われ仏道を成るに至りて、名声十方に超えん。究竟して聞ゆるところなくは、誓ひて正覚を成らじ」
「誓ひて正覚を成らじ」という言葉は、仏としての命をかけるということです。阿弥陀如来は、その仏の名にかけて、生きとし生けるものの安らぎを実現しようと誓われています。そして、「名声十方に超えん」というのは、阿弥陀如来としての名告りは、あらゆる世界の上に響いていくことを表しています。人間はもちろんのこと、あらゆる動物、植物、目に見えない小さな命に至るまで、如来様の働きは満ち満ちているのです。私の上で味わうと、それは、お念仏ということになります。私がお念仏させていただいているのは、この阿弥陀如来の誓いが、実際に実現している姿に他なりません。南無阿弥陀仏は、「あまねくもろもろの貧苦を済はずは、誓ひて正覚を成らじ」という阿弥陀仏の名告りなのです。
 仏教婦人会による正法寺本堂再建へ向けた働きは、本当に大変なものだったと聞いています。遠くは、下関まで托鉢に回ったことを聞かせていただいたこともあります。また、一軒一軒、御寄附をお願いして回るのですから、浄土真宗門徒でないお家にも、たくさんお伺いされたようです。中には、心無い言葉を投げつける方もいらっしゃったと聞いています。しかし、そんな中、自らを振り捨てて御報謝されたのは、阿弥陀如来の誓いが、何よりも尊いものとして響いておられたからでありましょう。阿弥陀仏の誓いを口にかけ、その有難さを噛みしめながら托鉢されるお姿は、まさしく現生に現れた還相の菩薩のようです。私達のお寺があることの深い意味を、今一度、大切に味わいたいものです。
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