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平成25年11月
  以前、ある御門徒の葬儀の折、当家の奥様から、次のようなお話を聞かせていただいたことがありました。
「お婆ちゃんは、若い頃、お寺の本堂の仏具を寄付したそうです。その当時、仏教婦人会の会長さんから『お内陣の中のお仏具を寄付させていただいたら、前に座ってお聴聞するようになるから、寄付させてもらいなさい』とお勧め頂いたことを、いつも嬉しそうに話してくれていました。若い頃は、あまりよく分からずに寄付したそうですが、自分が寄付した仏具があると、本当に気になって、お寺に足が向くようになったようです。晩年は、御法座の度に、本堂の一番前に座って、お聴聞させていただいておりましたが、本人は、本当に会長さんの言う通りになったと、そのことが、とてもうれしい様子でした。」
 正法寺が、大火災に見舞われたのは、昭和三十一年十二月二十日のことでした。本堂再建のための仏教婦人会の身を粉にした活動は、御存じの方も多い事かと思います。このお話を聞かせていただいて、改めて、私達の正法寺が、何の為に建てられてあるのかを大切に受け止めさせていただいたことでした。
 全国にあるお寺の数は、約七万ヶ寺を超えるそうです。これは、全国にあるコンビニの数を大きく上回る数です。しかし、コンビニの方がよく目につくのはなぜでしょう。それは、多くのお寺は、人里離れたところに建てられていることが多いからでしょう。本来、お寺というのは、心を落ち着かせて仏に礼拝する場であり、悟りを目指す僧侶が、修行する場でもあるのです。お寺の敷居が高いと思われている方は多いと思いますが、本来、お寺の敷居というのは高いのです。それは、世俗とは一線を引き、悟りを求める場として建てられてあるからです。
 しかし、浄土真宗の寺院は、これら、本来のお寺の姿とは、かなり違いがあります。浄土真宗のお寺が、今日のように多く建てられ始めたのは、今から、約500年前、本願寺第八代御門主の蓮如上人の情熱的な布教活動があってからのことです。蓮如上人の生涯かけての悲願は、さびれた本願寺の再興にありました。蓮如上人が生まれ育った大谷本願寺は、比叡山の僧侶によって破却されますが、やがて、蓮如上人の情熱的な布教活動によって、本願寺は、京都山科の地に再興されていきます。再興された山科本願寺は、その広さ、二十四万坪。破却された大谷本願寺の800倍もの面積を誇るものでした。この再興された山科本願寺は、それまでの寺院の常識を覆す今までにない姿を現したのです。それは、「寺内町」とよばれる寺院の中に町が形成される姿でした。蓮如上人が再興した山科本願寺は、お念仏に生かされる人々が集う広大な宗教都市だったのです。浄土真宗の寺院は、人里離れた所どころか、寺院を中心にして町が形成されるような性格をもっているのです。
 浄土真宗のみ教えは、世俗を離れることを教えるものではありません。離れることのできない世俗を、仏道としてお荘厳してくださるのが、お念仏の働きなのです。世俗の日常は、決して平穏には過ぎてはいきません。自己中心の妄念に苦しみ、条件次第で善と悪とが翻りながら、愛憎の中で押し流されるように生きねばならないのが、隠しようのない凡夫の姿です。生きることの意味も死ぬことの意味も考えることなく、ただ流れに任せて、愛憎の中を通り過ぎてゆく人生というのは、虚しいだけではないでしょうか。命の現実から目をそむけ、楽しみだけを求め貪る姿は、人の姿はしていても、人としての命を生きたことにはならないでしょう。
 阿弥陀如来は、世俗の中で生きていかざるをえない私を、愛憎の濁流から守り、地に足をつけて歩んでいくことのできる道をもたらしてくださいます。お寺とは、その道を共々に聞き開かせていただく場なのです。自分自身の人生と死は、自分自身にしか歩み受け入れることができない道です。誰かがどうにかしてくれるものではありません。一人ひとりが、聞き開かせていただかなければならないのです。先人の方々は、自分自身の命の問題を解決する場として、お寺を大切にされてきたのでしょう。その思いを、無駄にすることのない日々を送っていきたいものです。
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