『歎異抄(たんにしょう)』

先日、ある御門徒のご法事でのことです。御当主のご挨拶が、おおよそ次のようなものでした。

  「御院家様、本日は、まことにありがとうございました。尊いご縁を賜りました。親鸞聖人のお言葉ですが、『弥陀の誓願不思議にたすけられまゐらせて、往生をばとぐるなりと信じて念仏申さんとおもひたつこころのおこるとき、すなはち摂取不捨の利益にあづけしめたまふなり。弥陀の本願には、老少・善悪のひとをえらばれず、ただ信心を要とすとしるべし。そのゆゑは、罪悪深重・煩悩熾盛の衆生をたすけんがための願にまします。しかれば本願を信ぜんには、他の善も要にあらず、念仏にまさるべき善なきゆゑに。悪をもおそるべからず、弥陀の本願をさまたぐるほどの悪なきゆゑにと。』このお言葉の通りの毎日を、心がけて過ごしたいと思っておりますが、なかなかお言葉の通りには、過ごせておれません。この度、父から頂いたご縁を大切に受け止め、できるだけお念仏を口に称える毎日を、心がけて過ごしたいと思う次第です。」

御当主が紹介された、この親鸞聖人のお言葉は、『歎異抄』第一条のお言葉でした。この長いお言葉を、何も見ずにそらんじておっしゃったことに、深く感動させていただいたことでした。これまでの日暮らし、親鸞聖人のお言葉を、何度も大切に繰り返し味わってこられたということでしょう。

『歎異抄(たんにしょう)』という書物は、浄土真宗関係の本の中で、世界中で最も読まれているものです。親鸞聖人の主著である『教行信証』を知らない方でも、『歎異抄』は、名前だけでも、よくご存知の方が多いことでしょう。この『歎異抄』は、親鸞聖人が書かれたものではありません。いまだに確定はされていませんが、親鸞聖人の直弟子であった唯円(ゆいえん)という方が書かれたものと推定されています。親鸞聖人と弟子の唯円との年齢差は、約四〇歳です。親鸞聖人が、ご往生されて、約二十年以上経って書かれたものです。『歎異抄』という書物名は、「異なることを歎く」という意味です。つまり、親鸞聖人がご往生されて約二十年、親鸞聖人が教えられたことと異なる教えを、さも親鸞聖人から聞いたように言いふらす輩が、たくさん出てきたということです。そのことを憂い歎いて、「故親鸞聖人の御物語の趣、耳の底に留むるところ、いささかこれをしるす」として、筆をとられたのが、この『歎異抄』です。つまり、二十年以上経っても、耳の底に残り、心の中で響き続けている、直接親鸞聖人にお会いをし、直接言葉を交わした人間にしか記すことのできない、感動的な法語が散りばめられてあるのが、この『歎異抄』なのです。

その第一条に「弥陀の誓願不思議にたすけられまゐらせて、往生をばとぐるなりと信じて念仏申さんとおもひたつこころのおこるとき、すなはち摂取不捨の利益にあづけしめたまふなり。」と記されています。ここに親鸞聖人の出遇われたお念仏の救いの尊さが表れています。教えを聞き、お念仏を称えようという殊勝な心を起こした人が、救われるという単純な話ではありません。「心を起こす時」ではなく、「心の起こる時」です。微妙な表現の違いが、大きな意味の違いを表わしているのです。お念仏を称えようという心は、私の意志の力で起こせるものではありません。如来様を特別尊いものとも有り難いものとも全く思っていないのが私です。私は、出世間的な仏の尊さにではなく、世間的なお金や地位や名誉に目がくらむのです。如来様の御名を口にする、そんな思いは、私の中には元々微塵もありません。そんな私の口が「南無阿弥陀仏」と称えることがあるなら、それは、不思議なことなのです。私の計らいでは、計りきれない不思議な事が、私の上に起こったのです。その不思議な事を私の上に起こした力こそ、阿弥陀如来の願いの力なのです。もし、お念仏を素直に口にできるなら、それは、私が、如来様に深く愛され、すでに深く抱かれていることだったのです。

親鸞聖人から紡ぎだされるお言葉は、それを聞いたものを、ことごとく安心させていきます。唯円様の中で二十年以上響き続けたお言葉は、七五〇年以上経った今も、多くの人々の中で響き続けています。この世界は、汚い言葉だけではありません。いつまでも人々の上で響き続ける珠玉の言葉というものがあるのです。その言葉を聞かせていただく場所がお寺です。お寺で仏法を聞くご縁を大切にさせていただきましょう。

2017年8月1日