東本願寺と西本願寺の違い

先日、九月二日に開催された三十六回目となる公開講演会に、同朋大学の蒲池勢至先生をお招きしました。蒲池先生は、浄土真宗の御門徒の中で脈々と受け継がれてきた習俗や風習を研究する真宗民俗学の研究者です。「真宗門徒のゆくえ」という演題でお話しくださった講演も、大変ありがたいものでしたが、控室で、東本願寺と西本願寺の違いについてお話しくださったのも、とても興味深いものでした。
蒲池先生は、東本願寺をご本山とする真宗大谷派のご住職です。正法寺は、西本願寺をご本山とする浄土真宗本願寺派のお寺です。西本願寺と東本願寺は、元々一つの本願寺ですが、四〇〇年前に東西に分裂して以降、現在に至るまで、同じ親鸞聖人を宗祖と仰ぎながら、全く別の教団組織として活動してきました。山口県内には、東本願寺のお寺が三か寺しかありません。一方で西本願寺のお寺は、六三〇か寺を超えます。山口県で、真宗大谷派のご住職にお会いするのは、本当に稀なことなのです。それだけに、蒲池先生から聞かせていただいたお話は、とても新鮮で興味深いものでした。
その中で一つご紹介すると、お供え物に対する解釈の違いがあります。西本願寺では、お仏壇にお供えする果物やお菓子は、「お供え物」と書きます。しかし、東本願寺の方では、「お備え物」と書くそうです。これは、「供える」という文字に、「私が仏様に差し上げる」という意味があるからだそうです。本来、お仏壇のお飾りは、仏様のお心や働きを形として私に示してくださるものです。お供え物も、私が差し上げて初めて完成されるのではなく、本来備わっているものを、私がさせていただいているだけという解釈をするそうです。
一方で、西本願寺の伝統は、お供え物を本来備わっている物とは解釈しません。それは、お供え物というのは、仏様に対する敬いの心を表わすものと解釈するからです。お供えさせていただくお菓子や果物は、如来様から恵まれたものです。その点では、東本願寺と同じ味わいです。しかし、恵まれたものを仏様に供えるという行為は、その人の仏様を敬い感謝していく心の表れであり、西本願寺では、その行為を尊く大切なものとして認めていきます。しかし、西本願寺でも仏様に願い事を叶えてもらうため、自身の極楽往生を実現するため、などの祈願を目的に供え物をすることは、否定されています。おそらく東本願寺の方では、このような祈願の行為に陥る危険性をできるだけ排除する意識から、供えるという言葉を嫌ってきたのでしょう。どちらの伝統も、それぞれに有り難さを感じます。
実は、他の宗教にはない仏教における大きな特徴の一つが、この教団にあるのです。仏教では、帰依すべき宝物として、仏・法・僧の三宝が示されます。仏とは、悟りを開かれた清らかな仏様、法とは、その仏様が説かれたみ教え、僧とは、そのみ教えを尊び敬っている人々の和やかな集いを意味しています。僧とは、本来、インドでは、お坊さんのことではなく、僧伽(サンガ)を意味していました。この仏教徒の集い、つまり教団を宝物として、帰依する対象とするのは、仏教の大きな特徴なのです。
なぜ、教団が帰依すべき宝物なのでしょうか。それは、仏教の教えは、人の上に現れるからです。キリスト教やイスラム教のような啓示宗教の場合、人は、預言者が語る神の言葉に導かれます。その神の言葉が記された書物を聖書といい、この唯一の聖書が根本となります。しかし、仏教の場合、教えというのは、八万四千の法門と言われるように、仏様の言葉が記された経典は無数に存在します。それは、仏教という教えが、人の上に現れるものだからです。人は、それぞれに心を持ち、それぞれに人生の苦悩を抱えていきます。それは、一様ではありません。まさしく千差万別です。お釈迦様が説かれた歩むべき道は、その違いを持った一人一人に応じて説かれたのです。仏教徒一人一人の生き方の上に、言葉では語り尽くすことのできない教えの深みと尊さが現れていきます。その仏教徒達の後ろ姿に導かれ育てられてきたのが、仏教教団の伝統なのです。実際に、経典や僧侶が語る言葉よりも、祖父母の合掌する姿やお念仏される後ろ姿に育てられた人が多いのではないでしょうか。
それぞれのサンガ(教団)の存在は、そこに集う人々が、それぞれの生き様と死に様の上に、仏様のみ教えを響かせてきた証でもあるのでしょう。仏教は、人々が集うサンガの中に身を置くことで、はじめて教えられ育てられるものなのです。お寺にお参りし、さまざまな和やかな集いの中に身を置くことの大切さを、改めて確認させていただきたいものです。

2018年10月10日