『正信偈』のお勤め

【住職の日記】

先日、第五十九回目となる山口南組子ども一泊研修会が、山口市陶の円覚寺様で開催されました。山口南組は、防府市台道から山口市秋穂、鋳銭司、陶、小郡、嘉川までの旧吉敷郡の地域にある浄土真宗本願寺派の十四ヶ寺のお寺で構成される組織です。十四ヶ寺のお寺が一つにまとまり、組織的に浄土真宗のみ教えを広める活動をしています。その活動の一つが、五十九年も続いている子ども一泊研修会です。小学三年生から小学六年生までを対象に、毎年、会場を十四ヶ寺で持ち回り、一泊二日の日程で、勉強もあり、お楽しみもありの充実した研修会を計画しています。山口南組のどの地域も、子どもが減少していますが、それでも二十名の子ども達が集まってくれました。ちなみに、二十名中九名が、正法寺日曜学校から参加してくれた子ども達でした。若手僧侶が中心となり、ご法話を考え、ゲームを考え、子ども達に少しでも、お寺のことや仏様のことが心に残っていくよう、僧侶みんなで頭を悩ませています。

そんな中で、今回、ある若手僧侶の方が、子ども達にお話しされたことが、とても印象的だったので、ご紹介したいと思います。そこのお寺でも、正法寺と同じように、月一回、日曜学校を開催しているそうです。その日曜学校に幼稚園の頃から、毎月欠かさずに日曜学校に通ってくれている五年生の男の子がいるそうです。その男の子が、ある時、ニコニコしながら、こんなことを言いに来たというのです。

「先生、僕、病気かもしれん。学校の授業中も遊んでるときも、気づいたら、『きみょーむりょうーじゅにょーらいー』って口から出てくるんよ。」

それに対して、若手僧侶は、こう答えたそうです。

「それは、いい病気だから大丈夫。」

今回、その男の子自身も研修会に参加してくれていましたが、先生の話に顔を真っ赤にしながら、みんなと一緒に大笑いしている姿が、何とも微笑ましく、ありがたいご縁をいただいたことでした。

男の子が言った「きみょーむりょうーじゅにょーらいー」という言葉は、親鸞聖人が作られた『正信念仏偈』の一句目の言葉です。漢字で書くと「帰命無量寿如来」です。この『正信念仏偈』、略して『正信偈』は、浄土真宗の御門徒にとって、最も大切なお勤めです。六〇行一二〇句のわずかな偈文の中に、親鸞聖人の深遠な思想の全てが込められています。本願寺を代表する仏教学者の先生が、かつて、『正信偈』の一句をきちんと講義しようと思えば、七言一句の説明に三日以上の日数が必要だと言われていました。それほど、一句一句にものすごく深い意味が込められているものなのです。しかし、この『正信偈』は、本来、『教行信証』という親鸞聖人の難解な主著の中に記されているもので、学識のある一部の僧侶が目にするだけのものでした。それが、今から五〇〇年前、本願寺第八代御門主の蓮如上人が、この『正信偈』に節とメロディーをつけ、僧侶も御門徒も一緒に朝夕、お勤めできるようにされたのです。蓮如上人の御教化によって、浄土真宗のみ教えを喜ぶ人々が溢れていくようになりますが、その起爆剤の一つになったのが、『正信偈』のお勤めだと言われています。

考えてみますと、歌もそうですが、何十人、何百人の人が一緒に同じ言葉、同じメロディーを声を合わせて響かせることができるのは、数ある動物の中でも人間だけです。それは、人間だけが、同じ思い、同じ心を共有し、それを確認しあえるということではないでしょうか。

妙好人として有名な源左さんに、こんなエピソードがあります。朝、畑仕事に向かう道中、同じ村に嫁いできた他家のお嫁さんが、お仏壇の前で『正信偈』のお勤めを一人でしている声が聞こえてきたそうです。その声を聞いた源左さんは、思わず家の中に入り、一言「ここにも兄弟がおらんしたかいなぁ」と言われたそうです。阿弥陀如来という同じ親をいただき、同じお浄土に向かって歩んでくれる本当の仲間がここにもいたのか、そんな源左さんの喜びが伝わってくるエピソードです。

本来、仏縁をいただくというのは、楽しいことだと思います。たくさんの本当に心のつながった仲間に出遇えるからです。子どもも大人も、どんな立場の人も、どんな悩みを抱えている人も、同じお念仏を申し、同じ如来様に抱かれる本当の兄弟であることが確認できる世界が、『正信偈』のお勤めにはあるのでしょう。一人でも、そんな心から大切に思い合える、本当の兄弟が増えていくことを、お互いに願っていきたいですね。

(令和元年8月1日)

2019年8月1日