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平成22年7月
 六月六日の日曜日の朝、住職の恩師である浅井成海先生が、御往生されました。昨年、五月に厳修された正法寺の継職法要には、お元気なお姿で御講師としてお越しくださったので、御門徒の中には、まだ記憶に新しい方も多くおられることと思います。住職と坊守は、龍谷大学で、共に浅井成海先生のゼミに所属していたことが、結婚のご縁となりました。結婚の際には、浅井先生が司婚者を務めてくださり、また、奥様と共に媒酌人も務めてくださいました。
 浅井先生は、龍谷大学では、法然聖人とその門弟の方々の思想を中心に、長年に亘って熱心に研究され、龍谷大学退官前には、文学博士号を取得されました。先生の研究成果は、浄土真宗の各教団のみならず、浄土宗の各教団においても多く注目されています。龍谷大学退官後は、龍谷大学名誉教授に就任され、昨年からは、本願寺の教学伝道研究センターのセンター長として、現役でご活躍でした。仏教学者としての先生のご功績は、大変なものですが、それよりも、先生が、多くの方々に慕われておられたのは、その温かいお人柄にありました。いつも柔和なお顔で、学生達の様々な悩みに、丁寧に答えておられたことが思い出されます。昨年五月の継職法要にお招きしたときも、「君達にお会いできるだけで、ありがたいことだから、僕には何も気を使わないでください。」と、最後まで、住職夫婦を気遣い、継職法要が厳修されたことを心から喜んでくださいました。
 葬儀は、六月八日の火曜日に先生が住職を勤めておられた福井県敦賀の浄光寺で営まれました。全国から多くの門下生を初め、各方面の要職者の方々が多く参列されたとのことでした。葬儀に参列できなかった住職は、後日、日を改めて、坊守と子どもと一緒に福井県敦賀の浄光寺にお参りさせていただきました。そこで、先生の奥様から、先生の人生最後のご様子を、詳しくお聞かせいただくことが出来ました。
 五月五日のゴールデンウィーク最終日に先生は、福井県敦賀の自坊において、体調の不調を奥様に訴えられ、奥様と共に近くの病院に赴かれました。そこですぐに、検査入院となり、詳しい検査がなされたそうです。検査結果は、末期の胆嚢癌とのことでした。お医者様から、癌が進行しすぎて手術はもう出来ないこと、抗がん剤の治療をしても長くは生きることが出来ないことなどが、先生とご家族に淡々と告げられたそうです。それを、先生は、表情を変えずに、一つ一つ静かにうなずいて聞かれ、「本願寺の仕事が途中だから、職員に迷惑がかからないよう、本願寺に近い京都の病院で治療をさせてほしい」と希望されたそうです。しかし、薬が体に合わなかったのか、京都の病院で治療をはじめ、わずか一ヶ月足らずの後に、先生は御往生されたのでした。
 五月の中旬頃、先生は、三人の娘さんが、病室を訪れた折、次のようにお話されたそうです。
「父さんの人生は、仏法に遇わせていただいたお陰で、何の悔いもないんだよ。お前達も仏法に遇わせていただきなさい。如来様が、ここに満ち満ちてくださっているから、父さんは、何の心配もしていないよ。」
深い安心の中での御往生だったことが、うかがわれます。
 先生のこのお言葉からは、先生自身が、阿弥陀如来の働きを実感しておられたことが、よく伝わってきます。世の中には、阿弥陀如来の働きを空想や絵物語かのようにしか考えられない方も多くおられます。むしろ、そういう方の方が多いでしょう。しかし、阿弥陀如来の働きを身の上に実感し、その働きに命が支えられている方の言葉には、本物の響きがあります。この本物の響きを通して、仏法は、何百年と様々な人々の上に伝わってきたのではないでしょうか。
 仏法とは、お釈迦様が示された生・老・病・死の人間が持つ根本的な苦しみを超えていく道に他なりません。お念仏申す中に、如来様に出遇っていく人は、様々な苦しみを超え、深い安心の中に生き続けていくことを、浅井先生は、身をもって最後に教えてくださいました。先生の突然の御往生は、寂しい中にも、大変な温かさと柔らかさを心にもたらしてくださったものでした。お念仏申す中に、先生の御遺徳を偲ばせていただきたいと思います。
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