|
|
■ |
平成29年7月 New!! |
|
「南無阿弥陀仏」のお軸 |
■ |
平成29年6月 |
|
人として命恵まれたからには、・・・・・・・ |
■ |
平成29年5月 |
|
仏様に育てられる喜びに満ちた毎日を送らせていただきましょう。 |
■ |
平成29年4月 |
|
私の掛け替えのない人生を、そのままで喜ばせていただける、尊い毎日を歩ませていただきましょう。 |
■ |
平成29年3月 |
|
死は忌み嫌うべきものではなく、生も死も共に尊い意味があります。 |
■ |
平成29年2月 |
|
みんなお浄土でお待ちです。 |
■ |
平成29年1月 |
|
本物の御利益をいただける味わい深い一年にさせていただきましょう。 |
■ |
平成28年12月 |
|
センテナリアン |
■ |
平成28年11月 |
|
伝灯奉告法要の団体参拝に参加して |
■ |
平成28年10月 |
|
無数の関わり合いの中で、私というものは、あらしめられている。 |
■ |
平成28年9月 |
|
磁石は、阿弥陀如来です。鉄くずは、凡夫である私です。 |
■ |
平成28年8月 |
|
幸福とは |
■ |
平成28年7月 |
|
善人と悪人という言葉 |
■ |
平成28年6月 |
|
「縁起」、周りに感謝の心を持ち、周りの者に優しい心を向けていく |
■ |
平成28年5月 |
|
ご法事のご縁を頂くこと |
■ |
平成28年4月 |
|
可哀そうなものになるために、今まで生きてきたんと違いますよね |
■ |
平成28年3月 |
|
「お母さん」の愛情と「仏様」の愛情 |
■ |
平成28年2月 |
|
「お念仏でよかったですよ」の一言 |
■ |
平成28年1月 |
|
弥勒菩薩(みろくぼさつ)とは |
■ |
平成27年12月 |
|
浄土三部経のお勤め |
■ |
平成27年11月 |
|
親鸞聖人の生き方に、自分自身の人生の意味を訪ねていく |
■ |
平成27年10月 |
|
「お育てをいただく」と味わう |
■ |
平成27年9月 |
|
親鸞聖人のお名号の掛け軸 |
■ |
平成27年8月 |
|
浄土真宗は、お念仏を称えることを生活の根本として教えるものです。 |
■ |
平成27年7月 |
|
お墓は、その方を大切に偲び、その方から頂いたご恩を大切に胸に刻んでいく、そんな場所。 |
■ |
平成27年6月 |
|
『仏説阿弥陀経』に何度も出てくる「舎利弗(しゃりほつ)」という言葉について |
■ |
平成27年5月 |
|
お寺様は、いつも玄関からではなくて、縁側から入ってこられるのはどうしてですか? |
■ |
平成27年4月 |
|
仏法という宝物 |
■ |
平成27年3月 |
|
お念仏は、私の人生を支えるバックボーン(背骨)です。 |
■ |
平成27年2月 |
|
「報恩講」とは |
■ |
平成27年1月 |
|
お寺は、本当の仲間に出遇う場でもあるのです。 |
■ |
平成26年12月 |
|
温かいお慈悲に身を浸し、御恩報謝の日々を送らせていただきましょう。 |
■ |
平成26年11月 |
|
『無量寿』という言葉の意味 |
■ |
平成26年10月 |
|
み教えを味わう日常を送らせていただきましょう。『御文章』の意義 |
■ |
平成26年9月 |
|
天台宗と浄土真宗は、何がどう違うのですか? |
■ |
平成26年8月 |
|
自分に絶望した人間だから、「ただ念仏して…」という如来様の純粋無垢なお心が響いたのです。 |
■ |
平成26年7月 |
|
子や孫に、時代に左右されない輝きを残してゆける、立派な先人になってゆきたいものです。 |
■ |
平成26年6月 |
|
人の縁尽き命終わっていく時も「おめでとう」と見送られるような人生があるのです。 |
■ |
平成26年5月 |
|
「生死出づべき道」 |
■ |
平成26年4月 |
|
子や孫に、本当に幸せな生き方を伝え遺していくことを、人生の喜びとしてゆける私達でありたいものです。 |
■ |
平成26年3月 |
|
生と死の受け止め方 |
■ |
平成26年2月 |
|
悲しみや苦しみが、ありがたい仏縁となってくださるところにお念仏の尊さがあります |
■ |
平成26年1月 |
|
お寺とは、この大慈悲が告げる言葉を聞かせていただく場所です。一人ひとりが、大切に聞かせていただきましょう。 |
■ |
平成25年12月 |
|
日々の日暮しの中で、仏教徒として、この礼讃文を大切に拝読させていただき、大切にすべきものを見失わないようにしたいものです。 |
■ |
平成25年11月 |
|
浄土真宗のみ教えは、世俗を離れることを教えるものではありません。 |
■ |
平成25年 9月 |
|
如来より賜りたる信心 |
■ |
平成25年 8月 |
|
お寺は、人々に求められる時代が、まもなくやってくる |
■ |
平成25年 7月 |
|
他の命を頂くことの重みを知り、その命を無駄にしない生き方とは何であるのか |
■ |
平成25年 6月 |
|
陽気・陰気とてあり。されば陽気をうる花ははやく開くなり、陰気とて日陰の花は遅く咲くなり。かやうに宿善も遅速あり。 |
■ |
平成25年 5月 |
|
人生をつまらなく虚しいものにするのは、他人や周りの環境ではありません。他ならない私自身なのです。 |
■ |
平成25年 4月 |
|
お墓とは、どのように味わうべきなのでしょうか(お彼岸を迎えて) |
■ |
平成25年 3月 |
|
五十年以上前の葬儀のビデオ映像【限りある命を正しく歩み、正しく往生させていただきましょう。】 |
■ |
平成25年 2月 |
|
仏縁に恵まれていることを、大切にさせていただきましょう。 |
■ |
平成25年 1月 |
|
時に、鬼となって遇い難い仏法に導いてくださる、これも如来様の深いお慈悲の働きでしょう。 |
■ |
平成24年12月! |
|
『アソカの園』という仏教讃歌 |
■ |
平成24年11月 |
|
生と死の壁を破り「いのち」の共感の場を開く |
■ |
平成24年10月 |
|
私達のお寺があることの深い意味を、今一度、大切に味わいたいものです。 |
■ |
平成24年 9月 |
|
信心をいただくとは、どういうことでしょうか |
■ |
平成24年 8月 |
|
如来様の声に耳を傾け喜んでゆける人生でありたいものです。 |
■ |
平成24年 7月 |
|
故人のお蔭で・・・と喜んでいけるご法事を勤めさせていただきましょう。 |
■ |
平成24年 6月 |
|
仏法の味わいについて |
■ |
平成24年 5月 |
|
「おめでとう、仏縁に遇えたね」 |
■ |
平成24年 4月 |
|
「阿弥陀さんが難儀がるけぇの」 |
■ |
平成24年 3月 |
|
仏法を聞ける身であることを喜ばせていただきましょう |
■ |
平成24年 2月 |
|
「ていねいに生きる」 |
■ |
平成24年 1月 |
|
罪を罪として認める |
■ |
平成23年12月 |
|
「如来様に拝まれるからありがたい」 |
■ |
平成23年11月 |
|
お念仏のご縁 |
■ |
平成23年10月 |
|
突然の電話より、『仏説無量寿経』の阿弥陀仏の誓 |
■ |
平成23年9月 |
|
猫の死に思う |
■ |
平成23年8月 |
|
凡夫が凡夫のまま阿弥陀如来という命の親様に願われ抱かれているという真実 |
■ |
平成23年7月 |
|
自死をした人は、お浄土へは参らせていただけないのでしょうか? |
■ |
平成23年6月 |
|
「浄土宗の人は愚者になりて往生す」法然聖人からお聞かせいただいた言葉 |
■ |
平成23年5月 |
|
如来様にお礼を申せる人生でありたいものです |
■ |
平成23年4月 |
|
「臨終の善悪をば申さず」 |
■ |
平成23年3月 |
|
「白骨の章」の教え |
■ |
平成23年2月 |
|
ユキちゃんの疑問 |
■ |
平成23年1月 |
|
法の喜び/如来様のお慈悲に照らされる姿 |
■ |
平成22年12月 |
|
仏法には明日と申すことあるまじく候ふ |
■ |
平成22年11月 |
|
後生の一大事を心にかけて |
■ |
平成22年10月 |
|
無限の心配を抱えた親心 |
■ |
平成22年9月 |
|
死んだ方は、本当はどこにいるのでしょうか? |
■ |
平成22年8月 |
|
宗教とは、電車の中にある吊り革のようなもの |
■ |
平成22年7月 |
|
恩師「浅井成海先生」御往生 |
■ |
平成22年5月 |
|
「釈迦弥陀は、慈悲の父母」 |
■ |
平成22年4月 |
|
苦しみが深ければ深いほど、如来様のお慈悲の心は、大きく響いてくださる |
■ |
平成22年3月 |
|
日常の生活が、仏道であるような尊い日暮し |
■ |
平成22年2月 |
|
阿弥陀如来は、お寺の鐘のようなもの |
■ |
平成22年1月 |
|
新発意の姿に、「ただ念仏申せ」とお勧めくださった意味を味わせていただく |
■ |
平成21年12月 |
|
お寺は、お念仏を命の拠り所として生き抜いた先人達の尊い心が、具現化した姿 |
■ |
平成21年11月 |
|
「出家」と「在家」 |
■ |
平成21年10月 |
|
本当に大切にすべき宝物 |
■ |
平成21年9月 |
|
「真実は、すえとおる」 |
■ |
平成21年8月 |
|
「三時思想」―お釈迦様のお隠れを基点として、正法・像法・末法という三つの時代の流れ― |
■ |
平成21年7月 |
|
仏様と、コップ一杯の水 |
■ |
平成21年6月 |
|
お寺にお参りするようになったきっかけ |
■ |
平成21年5月 |
|
定額給付金の話から |
■ |
平成21年4月 |
|
仏様に、「ショウネ」を入れる? |
■ |
平成21年3月 |
|
「皆さん、お念仏申してください」 この一言の響き |
■ |
平成21年2月 |
|
「御報謝」という言葉 |
■ |
平成21年1月 |
|
底が見えないからこそ、お経は、有り難いのです。 |
|
|
■ |
平成20年12月 |
|
お婆ちゃんから、新婚夫婦に贈られた小さなお仏壇 |
■ |
平成20年11月 |
|
「煩悩を断ぜずして涅槃を得る」 |
■ |
平成20年10月 |
|
90歳の言葉より「私は、つまらない人間です」 |
■ |
平成20年9月 |
|
手垢の付いたボロボロの聖典 |
■ |
平成20年8月 |
|
「故人の死が無駄にならない」このことを大切に出来る仏事 |
■ |
平成20年7月 |
|
われらが今度の一大事の後生 |
■ |
平成20年6月 |
|
『遊雲さん 父さん』より 「ぼくはもういきます」 |
■ |
平成20年5月 |
|
「お花が痛いよ〜」(はっとする感動と反省の日々) |
■ |
平成20年4月 |
|
ただ口に無量寿仏(阿弥陀仏)のみ名を称えなさい |
■ |
平成20年3月 |
|
「如来さん」と呼びかけながら対話する |
■ |
平成20年2月 |
|
「そのままでいい」という言葉 |
■ |
平成20年1月 |
|
お念仏は「最上の宝」(「和」を保つための一番の根源) |
|
|
■ |
平成19年12月 |
|
「なまんだぶ、なまんだぶ・・・・」お念仏の意味 |
■ |
平成19年11月 |
|
手作りのお斎を囲み、和やかに故人を偲ぶ |
■ |
平成19年10月 |
|
頭が下がるものに出会っている姿は、本当に尊い |
■ |
平成19年9月 |
|
お寺にお参りすることすら心のままにならない私たち |
■ |
平成19年8月 |
|
お婆ちゃんのお陰で、 |
■ |
平成19年7月 |
|
お浄土の足しにはならない |
■ |
平成19年6月 |
|
死に対する味わい |
■ |
平成19年5月 |
|
煩悩具足の凡夫、火宅無常の世界 |
■ |
平成19年3月 |
|
ある法事での一言「地獄に落ちるぞ!」 |
|
|