「法事ノート」

【住職の日記】

最近は、二世帯が同居しないことが当たり前になりました。おじいちゃん、おばあちゃんが、一緒の家に住んでいない核家族がほとんどです。二世帯が同居していた時代は、仏事に関することも、自然と次の世代に伝わっていましたが、現在は、親の世代が亡くなったことをご縁に、はじめて仏事に関わる人が増えてきました。

そんな中で、先日、ある御門徒のご法事で、とても有り難いお姿に出会うことがありました。そこのお宅も、何十年と親世代と子ども世代とが、別々に家を持ち暮らしている状況です。子ども世代が、遠方に暮らしていることもあり、ご法事でも、子ども世代のご家族は、今までお参りされていませんでした。そんな中で、親世代が、ある日、急に亡くなったのです。
葬儀までは、様々な意味が分からなくても、葬儀社の方々が進めてくれます。また、葬儀社の会館を使用すれば、ご自宅のお仏壇を触ることなく、仏事を勤めることができます。おそらく、最近のご遺族の方々は、仏事を勤める意味も分からないまま、葬儀社に流されるように、火葬まで終わっていくことが多いのではないでしょうか。

一年後、一周忌を迎える少し前に、お電話でご案内をいただきました。一周忌からは、お仏壇のあるご自宅でお勤めしたいということでした。一周忌をお迎えした日、お約束通り、ご自宅にお参りをさせていただきました。お仏壇の前に座らせていただいた時、驚きました。お仏壇のお荘厳が、完璧だったのです。完璧にお荘厳されたお仏壇というのは、正直なところ、最近は少なくなりました。蝋燭の本数が違っていたり、供物の位置が違っていたり、余計な物が置かれていたりと、御門徒の方々の迷いが、そのままお仏壇のお荘厳に表われていることが多いのです。見たところ、ご親戚の方々はお参りされていません。今まで仏事に関わってこなかった若い世代の方々だけで、どうやってここまで完璧にされたのかと不思議に思ったことでした。

すると、施主様からすぐにお尋ねがありました。

施主
「お仏壇のお飾りで、どこか間違っているところはないですか?」
住職
「いいえ、完璧ですよ。とても綺麗にお荘厳されていると思います。どなたかに教えていただいたのですか?」
施主
「昨日の夜、自分達だけでやってみたんです。自分達は、何も分からなかったんですが、亡くなった父親が法事ノートを作っていたんです。そのノートを開いてみると、お仏壇のお飾りについても、図入りで細かく指示されていました。意味が分からないところは、インターネットで調べたりして、何とかここまでお飾りをしました。子どもの頃、法事の前になると、いつも父親が、ノートを一生懸命見ていたことを思い出したんです。そのノートを開いてみると、何度も書き加えられた跡があって、父親も、色々と苦労しながら、親の法事を勤めていたんだなと思いました。」

お仏壇のお荘厳というのは、阿弥陀如来のお浄土の世界を形で表現するものです。それは、仏様のお心によって整えられていく秩序の世界です。迷いや混乱は、無秩序です。お荘厳が乱れるというのは、人間境涯の無秩序な迷いや混乱を仏様の世界に持ち込むということでもあるのです。きちんと仏様のお心によって秩序立てられたお仏壇の前に座ることによって、仏様のお心を敬うことができるのです。

仏事というのは、仏様のお心に出遇い、仏様のお心によって知らされてくる世界をいただくところに大切な意味があります。しかし、そこには「敬う」という心が、具わっていなければなりません。敬うというのは、ただ単に大切にするという意味ではありません。それは、教えに順うという意味が含まれているのです。自分を超えた世界に出遇い、その世界に頭が下がり、その世界が教えてくださる言葉に、自らを委ねていくのです。

分からない中でも、何とか正しいことをさせていただこうとする姿勢の中に、仏様を敬う心が伝わっていることを感じ、とても有り難いことでした。それは、言い換えれば、ちゃんとそこに、仏様が働いてくださっているということでしょう。

お参りされるご親戚が少なくなり、お斎も用意されなくなるなど、ご法事の形は、時代と共に変わっていきます。しかし、形はどんな風になったとしても、仏様を敬う心だけは大切にさせていただきたいものです。

2023年10月1日