New 「阿弥陀如来は、言葉の仏様です」

先日、御法座の後、ある御門徒の方から次のようなお話を聞かせていただきました。

 「私は、昔から、自分が人からどう思われているか、人の目を気にしながら過ごすことが多かったんです。でも、最近は、人の目よりも如来様の目を気にするようにお育ていただきました。前の御院家さんが、よく『なんでも如来様に相談しなさい』と仰っていましたが、その言葉の意味が、ようやく頷けるようになってきました。如来様が、どう見てくださっているのか、そのことばかり考えていると、私の口からお念仏が出てくださるのです。それがまた、ありがたくて・・・」

尊い念仏者のお姿に出遇わせていただいたことでした。親鸞聖人がその御生涯を通じてお示しくださった浄土真宗という仏道は、「六字の御名を称えつつ、日々の暮らしをお浄土への大切な道のりとして、一生懸命精進させていただく」というものです。

浄土真宗がよく誤解されるのは、世俗化した仏教のように思われることです。世俗というのは、煩悩が中心となって営まれる人間社会のことです。煩悩とは、貪欲・瞋恚・愚痴という言葉に代表されるように、自分の都合を貪り(貪欲)、自分の都合を邪魔する者に対して怒りを起こし(瞋恚)、物事の正しい本質を見失っていく(愚痴)、私達の心を煩わせ悩ます根源となるものです。得した、損した、可愛い、憎い、などなど、自分の都合に振り回されながら、自分も人も傷ついていくような在り方を世俗といいます。

それに対して、仏教は、煩悩を肯定するような生き方を戒めていきます。自分の望むものを手に入れるためのお金や自分のやりたいようにできる権力など、世俗の人なら誰もが望むものを捨て去って出家するのが、仏道を歩むスタートになります。比叡山や高野山などの出家僧の生活環境は、煩悩が暴走しないような環境が常に整えられています。

高野山で一年間、出家の日々を過ごされた真言宗の御住職は、「高野山で毎日精進料理ばかり口にしていますと、もうお寿司や焼き肉が食べたいという欲求がなくなってくるんですよ。」と仰っておられました。食欲がなくなるわけではありません。必要以上に食欲を貪るようなことがなくなっていくというのです。しかし、その御住職が、続いて次のようなことを仰っておられました。「でも、そんなのは高野山にいた一年間だけですよ。高野山から下りて、普通の生活に戻ったら、また、お寿司とか焼き肉とかが食べたくなりますよ。環境って大事ですよ。」

私達が抱えている煩悩の問題の根深さを教えられた気がいたしました。親鸞聖人は、出家の生活の中で、煩悩を抱える自分に絶望し、比叡山を下りなければなりませんでした。親鸞聖人も、比叡山の過酷な出家生活の中で、人並みには煩悩をコントロールできていたはずです。しかし、それは、所詮人並みなのです。完全な仏様と比べれば、やはり、仏様とは真逆の方向性をもった浅ましい私が浮き彫りになってくるのでしょう。自分をごまかすことの出来ない純粋で真面目な親鸞聖人だからこそ、ご自分に絶望されていかれたのです。

そんな親鸞聖人が出遇っていかれたお念仏の仏道は、むしろ煩悩が渦巻く世俗の中に、自分自身が肯定されていく道でした。仏様とは真逆の方向性をもった浅ましい私が、そのまま認められていく世界があったのです。そのままといっても、阿弥陀如来という仏様は、そのままの私を許すわけではありません。浅ましいそのままの私を悲しみ慈しむ中に、そのままにはしないで、悟りの命へと育ててくださるのです。

阿弥陀如来は、言葉の仏様です。南無阿弥陀仏の言葉になって、私の内面に立ち入り、私を絶えず揺り動かし、仏様とは真逆の方向性をもった私を、少しずつお浄土へと方向転換してくださいます。お念仏を申す人の人生は、常に仏様の眼に照らされた日々です。仏様の眼の中に、常に自分自身の姿が知らされ、仏様の働きによって、常に煩悩が暴走しないようコントロールされていくのです。人の視線よりも仏様の視線を感じながら、常に仏様とご一緒に日々を歩ませていただくのが、浄土真宗という仏道です。

浄土真宗は、けっして世俗化した仏教ではありません。共々に仏様の温かいお心に抱かれた丁寧な日々を大切にさせていただきましょう。

【住職の日記】

 

2024年12月2日

「仏教は、広まるもの」

先日、ある御門徒のご法事の折に、お浄土についての御法話をさせていただきました。その後、お斎の席につかせていただいた時、故人の息子さんから、次のようなご感想をいただきました。

 「父が若い時から、お寺によくお参りしたり、浄土真宗の本をたくさん読んでいたのは知っていましたが、父は、私に一度として、お寺に参りなさいとか浄土真宗を学びなさいと言ったことはありませんでした。浄土真宗のことだけではなくて、自分の趣味や好きなものを、あまり子どもに勧めるような父ではなかったのです。でも、今の御院家さんの御法話を聞かせていただいて、父は、自分の死をそんな風に受け止めていたのかと思うと、何か感慨深い思いがしました。」

仏教は、2500年もの間、人から人へと伝わってきました。しかし、仏教教団では、伝統的に「仏教を広める」という言葉は使われてきませんでした。それは、仏様のみ教えというのは、「私が広める」ものではなく、「仏様のみ教えそのものに広まる力がある」と考えられてきたからです。「仏教は、広まるもの」というのが、伝統的な仏教教団の味わいなのです。そのことを、この度、改めて教えていただいた気がいたしました。

仏教の教祖は、お釈迦様です。しかし、そのみ教えは、お釈迦様独自の考えや発想を元にしたものではありません。お釈迦様ご自身も、お弟子の阿難に対して、「私もまた真理の道を歩む修行者である」と語っておられるように、ご自身もまた、完成した存在ではなく、真理そのものから教えられ学ぶ立場に立っておられたことが分かります。仏教は、お釈迦様が発見された真理が語るみ教えなのです。

それでは、真理とは何でしょうか?それは、自己都合が微塵も雑じらない世界です。私達は、何を認識するにしても、必ず自らの自己都合を通して認識しています。自分にとって都合の良いものは、好意的に認識していきます。逆に、都合の悪いものは、敵意をもって認識していきます。人間境涯には、大きく分ければ、好きな人と嫌いな人とどうでもいい人の三種類の人間しかいないと言われます。私達は、誰が死んでも、同じように胸を痛め涙を流していくわけではありません。嫌いな人やどうでもいい人が死んでも、正直なところ、涙は流れないのではないでしょうか。仏教では、このような自らの自己都合を通して認識していく世界を、虚妄分別の世界といい、偽物の世界に生きていると教えています。

私達が自らの自己都合を通して認識している世界は、どれもが自分勝手に歪められた偽物の姿を見ているということです。本物の姿、つまり真理とは、誰の都合も通さずに捉えた、世界のありのままの姿を言うのです。そんなありのままの真理に触れたお釈迦様が語る言葉は、私達のような虚妄分別から紡ぎ出される迷いの言葉ではありません。虚妄分別の迷いの世界を破っていく、無分別の真理から紡ぎ出された清らかなる言葉なのです。

死という言葉も、虚妄分別の世界が紡ぎ出した言葉であり、死という世界もまた、虚妄であり偽物だと、お釈迦様は教えられています。仏教では、「生死一如」という言葉でもって、生と死を表わしていきます。生も死も一つの同じものだという意味です。しかし、虚妄分別の世界にしか生きることのできない私達には、どうしても同じものだとは思えません。生きていくことが素晴らしい人にとっては、死は、悲しい現実でしかありません。逆に、生きていくことが辛いことでしかない人にとっては、死は、希望になるかもしれません。私達には、どこまでいっても生と死は、真逆です。「生死一如」と悟っていく自分は想像ができません。浄土の教えは、そんな私に「生死一如と悟れなくてもいいから、わが浄土に生まれる身だと受け入れておくれ」と阿弥陀如来様が、願ってくださっていることを教えてくださるのです。

浄土真宗には、生死一如と悟れないまま、如来様の願いの中に、死もまたありがたいと合掌していけるような世界を味わえる姿があるのです。如来様の願いを受け入れ、浄土の世界が恵まれていく人の上には、今生の別れの寂しさはあっても、不気味な死はもう存在しません。不気味な死を抱えていない人の人生には、必ず明るさが灯ります。その浄土からの灯火が、また後に生きる人々を導いていくのです。

この世界において、お念仏を喜ぶ人々は、闇の中に灯った温かい灯火です。そんな温かい灯火とご縁をいただいたなら、私もまた、後の人々の灯火となっていくような生き方をさせていただきたいですね。

【住職の日記】

 

2024年11月1日

「まはさてあらん」

先日、この四月に大学に入学したばかりの大学生達が、お寺にお参りに来てくれました。いずれも正法寺日曜学校を卒業した子ども達です。それぞれが県外の大学に入学し、四月以来、初めて山口に帰省した子ども達ばかりでした。久しぶりに実家に帰って来た時、それぞれのお婆ちゃんやお母さんに、「お寺にお参りしておいで」と言われ、お念珠を持ってお参りに来てくれたことでした。

お寺にお参りするように勧めてくださったご家族の方々も、それに素直に頷いてくれた大学生達も、大変ありがたいことだと思います。先日のお彼岸の三連休にも、たくさんの方がお寺のお墓と納骨堂にお参りに来られていました。しかし、境内にいながら本堂までお参りされる方は、全体の半数ぐらいでしょうか。本堂にお参りするというのは、案外、難しいことなのです。

浄土真宗のお寺にお参りするというのは、他宗のお寺にお参りするのとは少し意味が違います。浄土真宗のお寺には、お守りがありません。また、祈祷や御朱印といったものもありません。これは、正法寺だけでなく、世界の親鸞聖人を御開山と仰ぐ浄土真宗寺院すべてに共通した姿です。

これは、宗祖である親鸞聖人の生き方が、お寺の姿に反映されているからです。親鸞聖人の奥様である恵信尼様が、末娘の覚信尼様にあてられたお手紙の中には、親鸞聖人が、かつて祈祷をしようとされ、深く悩まれたことがある事実が記されています。

それは、寛喜三年(一二三一年)四月のことでした。親鸞聖人は、この時、高熱を出されてうなされていました。ちょうどこの時、後に寛喜の大飢饉として歴史に刻まれる大飢饉がピークを迎えていました。前年から始まった寒冷化による異常気象と度重なる台風の被害によって、日本中から食べ物がなくなります。さらに寛喜三年二月からは、疫病が蔓延し治安が悪化していきます。群盗が横行し、道には餓死者の死体が溢れかえる状況であったことが、当時の貴族の日記に記されています。自分だけが苦しいのではありません。そこに生きる命ある者みんなが深い苦悩のどん底にいるのです。その高熱の中で、親鸞聖人は、夢を見られていました。その夢は、床に伏せった状態で『仏説無量寿経』を絶え間なく読んでいるものでした。目を閉じると、経典の文字が一字残らず光り輝いて見えたといいます。それと同時に、親鸞聖人は、十七、八年前に佐貫(現在の群馬県にある土地)で、同じように飢饉で苦しむ人々を何とか救いたい一心で、『浄土三部経』を心を込めて千回読もうとされ、途中で中断されたことを思い出しておられました。その時の千回読誦は、雨乞いの意味があったと言われてます。高熱を出し床に伏せってから四日目の明け方に、親鸞聖人は、苦しそうな中で「まはさてあらん」と一言呟かれたといいます。「まはさてあらん」とは、「まあそうであろう」や「これからは、そうしよう」という気づきの言葉です。

親鸞聖人は、高熱にうなされる夢の中で、何に気づかれたのでしょうか。それは、昔も今も、自分の中に残る自力をあてにしようとする慢心でした。数え切れない人々が、目の前で飢えに苦しみ、もだえながら死んでいく地獄のような風景を前に、それを何とかしたいという一心で経典を読むことは、優しい慈悲の心からの行為です。しかし、人間境涯の慈悲は、悲しくも徹底することはできません。鎌倉幕府でさえ、大飢饉の前に何も出来なかったのです。一人の人間が、目の前の無数の人々の絶望を救う力などあるはずがありません。私自身もまた、絶望を抱えた弱い凡夫なのです。祈祷やお守りでは、誤魔化しはできても、本当の意味で、人が救われることはないのです。

「まはさてあらん」というつぶやきは、私も他人も、本当の意味で救われていく世界は、お念仏の中にしかないという気づきです。飢饉でなくても人は死にます。死の縁は無量です。死から人を守るのが仏教ではありません。生死の不気味さを破り、生にも死にも尊いといえる意味をもたらしてくださるのが仏様のみ教えなのです。親鸞聖人は、私も他人も、共に苦悩を抱える弱い凡夫であり、その弱い凡夫同士が、共に救われる道があることを、苦悩の中に明らかにしてくださったのでした。

大切なものは、自分の都合を守ってくれるものではありません。あらゆる命を慈しみ悲しんでくださる如来様の真実心であり、その働きの中に、自分や他人の人生を尊く受け止めていく礼拝の心にこそ、人生における本当に大切なものがあるのです。
世間ごとの中だけで虚しく人生が終わっていくのではなく、いつも如来様が人生の中心であることを大切にさせていただきましょう。

【住職の日記】

 

2024年10月1日

「人間境涯」

先日、ある御門徒宅に初盆のお勤めにお参りさせていただいた時のことです。三歳か四歳のお子様も一緒にお参りしてくれていました。まだジッと座っていることが難しい年齢です。最初は、静かに座っていましたが、しばらくしてゴソゴソと動き始めました。そのうちに、手にかけていたお念珠を足にかけて遊び始めたのです。すると、すぐにお婆さまに当たる方が、「いけません」と注意をされました。なんでもない当たり前の光景のようですが、とてもありがたいことだと思いました。

最近は、ご法事の参詣者が少なくなりました。高齢化に加え、社会的に親戚付き合いも希薄になる傾向があります。そんな中で、子どもの頃から仏事に慣れ親しむということも、難しい社会状況になっています。子どもの頃から仏事に慣れ親しむ中で、人は、大切なことを学んできたように思うのです。

お念珠を、なぜ足にかけて遊んではいけないのでしょうか?社会的な価値観で考えると、子供用のお念珠は、何百円かで購入することができます。社会的に大切なものとは、高価な物か命に関わるものでしょう。子供用のお念珠は、高価な物でも、命に関わるものではありませんが、それでも、大切に扱うべきものなのです。これは、人間社会の中で触れていく価値観とは全く異なる価値観です。

日本に初めて本格的な仏教思想を伝えてくださった聖徳太子は、亡くなる時に、遺言としてお后の橘大郎女に「世間虚仮 唯仏是真」というお言葉を残されました。これは、ご自身が、命終えていかれるときに「世の中のことは、全て虚しく偽りのものであり、ただ仏様だけが真実といえるものなのだ。だから、仏様の心を拠り所として生き、仏様の世界に生まれてくるようにしなさい」とお后に遺言されたのです。この遺言を受け、お后の橘大郎女が、お婆さまに当たる推古天皇に頼んで、聖徳太子を偲ぶために作ったのが、日本最古の刺繍であり国宝に指定されている「天寿国繍帳」です。聖徳太子が遺言された仏様の世界、阿弥陀如来の西方極楽世界が描かれたものです。

親鸞聖人も弟子の唯円に語ったお言葉として、「煩悩具足の凡夫、火宅無常の世界は、よろづのこと、みなもつてそらごとたはごと、まことあることなきに、ただ念仏のみぞまことにておはします」というお言葉を残されています。本当に大切なものとは何か?について、聖徳太子の遺言と親鸞聖人のお言葉は、ピッタリと一致しています。煩い悩みを抱える人間境涯が作り出していくものの中に、本当に大切なものはないというのです。

人間境涯が作り出していく世界とは、自己都合が作り出していく世界です。人間境涯で美しく大切にされているものの一つに愛というものがあります。これは、相手を思いやる純粋な心を意味しています。しかし、仏教では、人間境涯が起こしていく愛は、愛欲や渇愛と呼び、仏様が起こす慈愛とは厳格に区別しています。人間境涯は、自己の都合に合うものを愛し、自己の都合を邪魔するものを憎むのです。それ故に、愛するものが憎悪の対象に変わっていくことが、いくらでもあります。変わるというのは、偽りだからです。真実であるなら、愛し続ける心が変わることは決してありません。人間境涯が作り出していく世界は、しっかりしているようなものでも危ういのです。

昔の人々が、仏事を大切に勤めてきたのは、本当に大切にすべきものが、そこにあることを感じていたからでしょう。現代の人々が、人間境涯が作り出していく世界の他には何もないと思っているとしたら、恐ろしいことです。それは、この世には、地獄・餓鬼・畜生しかないと言いながら、真っ暗な闇の中を彷徨っているようなものだからです。

真実といえる仏様が教えてくださる世界、それは、あらゆる命がお互いに輝きあえる世界です。愛と憎しみを超え、どんな命も同じように慈しまれていく世界です。人間境涯が自己都合を中心にして描き出していく愛と憎しみの世界とは全く異なった、浄土と呼ばれる清らかな仏様の世界があるのです。その微塵も我が雑じらない純粋な慈悲の世界に手を合わせ、頭を下げてきたのが仏事なのです。

理屈で教えるのではなく、仏事という仏様を中心とした宗教的空間の中で、本当に大切にすべきものをみんなで味わい、みんなで喜んでいく姿が大切だと思います。子や孫に、本当に大切にすべきものをきちんと伝えていく、そのような仏事の姿を大切にさせていただきましょう。

【住職の日記】

 

2024年9月2日

「正法寺大火災からの復興の意義」

先日、仏教婦人会結成100周年に向けて、これまで仏教婦人会で活動してこられた方々から、それぞれの想い出を聞かせていただく集まりが企画されました。その中で、90歳代の会員の方から約70年前の正法寺の大火災とその後の復興の様子について、詳しく聞かせていただくことができました。

昭和三十一年十二月二十日の昼間、突如、正法寺本堂から火の手が上がり、山門と塀を残し、本堂と庫裏などの建物全てが焼失するという大惨事が正法寺を襲いました。しかし、その後、当時の御門徒の方々の懸命な尽力により、わずか三年後の昭和三十四年に現在の本堂が落成するに至ります。火災が起こったとき、いの一番に頭から水をかぶり、燃えさかる火の中に飛び込んで、燃えていく本堂からご本尊を運び出してくださった御門徒の方がおられたことも聞かせていただきました。正法寺の復興は、本堂から火の手が上がったその瞬間から始まったのです。

この度、特にお話くださったのは、復興資金を募るために仏教婦人会の方々が中心となり尽力くださった托鉢の様子についてです。当時、火災保険というものはありませんでした。また、戦後十年が経過したばかりで、まだまだ社会全体が復興の途中にある状況です。そんな状況の中、現在の価値にして何億円という資金を、仏教婦人会の方々が、各地を托鉢して歩かれ、募っていかれたのです。この度、お話を聞かせていただいた方は、当時、二〇歳代だったといいます。正法寺に一度、みんなで集まり、いくつかのグループに分かれ、それぞれ今日の行き先を決めて出発するそうです。その方のグループは、秋穂・二島に向かわれたそうです。一月・二月という一番寒い時期に、秋穂・二島まで歩いて向かうということだけでも大変なことです。一軒、一軒、知らない家を訪ね、事情を話し、募金をお願いするのです。しかし、当時は、概ね温かく迎えてくださる家が多かったといいます。戦後十年、まだ社会全体に助け合いの精神が満ちていたのでしょう。そして、協力してくださる募財は、現金ではなく、ほとんどがお米だったそうです。当時は、現金よりもお米などの食料の方に価値があったのです。しかし、女性の方が、何十キロというお米を担いで、寒い中、秋穂・二島から正法寺まで歩いて帰られるというのは、並大抵の大変さではなかったと思います。まさしく、御恩を身に刻みながらの御恩報謝の尊い行いであったと言う他ありません。

お話を聞かせていただいて、浄土真宗のお寺が、本来何のために建立されているのかを改めて教えていただいたような気がいたします。もし、それぞれの家の先祖供養や葬儀のためにお寺が必要であるというなら、たくさんの人が集まる本堂のような建物は必要ありません。法務を担当する僧侶の居場所があれば、それでいいのです。しかし、70年前の当時の正法寺の御門徒の方々は、文字通り身を粉にして、たくさんの人々が集える大きな本堂を再興していかれました。それは、お寺という場所が、多くの人が集える場所として、なくてはならないものだと本気で感じておられたからでしょう。しかも、それは、公会堂のように、単に集えればよい場所ではなく、あくまでも本堂でなければならなかったのです。本堂は、ご本尊が御安置されているお堂であり、そこは、阿弥陀如来様のお心を仰ぎ礼拝する空間です。

阿弥陀如来様のお心とは、大慈悲心と言われる決して見捨てることのない深い慈しみと誰にも分からない深い悲しみに共感してくださるお心です。そのあらゆる命を貫いている清らかなお心は、私の命の根本問題を解決してくださいます。何のために生まれ、何のために生き、何のために死んでいくのか、惑い悩み怯えることしかできない私に、深い安心を与え、生まれ、生き、死んでいくことに合掌していける世界を恵んでくださるのです。

救いとは、生きることも死ぬことも、その尊い意味をはっきりと確認し、どちらも有り難いと合掌していけるような世界が恵まれていくことです。生まれてきたからには、死も含めた自分の人生を味わい深く喜べる世界をいただかなければ、自分の命に責任を果たせたとは言えません。そんな世界に出遇っていける唯一の場が、お寺の本堂なのです。

お寺の本堂で阿弥陀如来様のお心を聞かせていただき、自らの人生を本当の意味で全うしていくことは、人間境涯が求める権力欲、財欲、色欲などを満足させることよりも、はるかに重要で大切なことであることを、70年前の多くの方々は、はっきりと確認しておられたということでしょう。

今、私の目の前に、その本堂という空間が恵まれていることの有り難さを味わい、本堂で仏法を丁寧に聞かせていただく日々を改めて大切にさせていただきましょう。

【住職の日記】

 

2024年8月5日

「連続研修会」

今年は、コロナ禍が明け、寺院活動も通常の状態に戻りつつあります。正法寺が所属する浄土真宗本願寺派の山口南組(山口市と防府市台道の十四ヶ寺で構成)でも、コロナ禍で滞っていた活動を順次再開する方向で協議が進められています。その中で、今年、再開が決定したものに連続研修会があります。連続研修会は、二年にわたり、全十二回の研修を受けていただくものです。浄土真宗のみ教えに体系的に触れていただき、その後、受講者が、各寺院の法座活動に参画し、お念仏を喜ぶ人々のご縁の輪が広がっていくことを目的としています。

これまで、山口南組では八回にわたって連続研修会が開催されてきました。この度、十月より九回目の連続研修会が、実に八年ぶりにスタートします。再開されるにあたり、前回受講された方々の受講後のアンケートを見せていただきました。それぞれに、様々なご意見やご感想が書かれてあり、とても興味深く読ませていただきました。

その中で、次のようなご感想を書かれている方がおられました。

「如来様の前では、南無阿弥陀仏が称えられても、日常の暮らしの中では、自然に称えることができません。これからお聴聞を重ねていく中で、自然にお念仏が称えられるようになるのでしょうか?」

様々なご意見、ご感想がある中で、とても真摯に仏法と向き合ってくださっている姿に感動したことでした。

仏教には、本来、研修という言葉はありません。それは、仏様の世界は、勉強して、自分の知識にするものではないからです。仏教というのは、知識ではなく、自らの人生の上において、一人一人が味わっていくものです。それは、職人の世界と似ています。職人の世界も、研修を受けて知識を得たからといって、師匠と同じようにできるものではありません。師匠の教えを真面目に聞き、一生懸命経験を重ねていく中で、言葉では説明のできない感覚や技術が、その人の身となっていくのだと思います。仏法も同じです。仏教経典は、お釈迦様という仏様が経験された世界を、あえて言葉にしたものです。その言葉に触れることによって、仏様が経験された世界に触れることができますが、それは、覚えて理解することとは違います。自らの人生の悲しみや喜びの中で、繰り返し、仏様のお言葉を味わうことによって、だんだんと身についていくものなのです。

連続研修会は、その入り口にすぎません。研修会をご縁とし、仏様のお言葉に触れていくことが大切です。触れた言葉を、一生掛けて味わっていくのです。いただき味わっていく言葉が、その人の人生の上に、浄土の風景を少しずつ開いていくはずです。

仏教の言葉は、すぐに理解できるような簡単なものではありません。しかし、私に簡単に分かってしまうような言葉には、大した価値はないでしょう。この理解しがたい言葉が、国を超え、何千年もの時代を超えて、人々を導き、今もなお響き続けている事実に感動してほしいと思います。

教えを味わうということについて、住職が、仏教を学ぶ上において、大変お世話になった龍谷大学の浅井成海先生のお姿を思い出します。先生は、真宗学を専門とする一流の仏教学者でもあられましたが、単に仏教を研究の対象とするのではなく、ご自身の日々の生き方の上に、そのみ教えを大切に味わっておられました。いつも、授業が終わり、教室を出て行かれるときや御聖教を閉じられる時に、自然とお念仏を申される先生でした。その先生が、体調を崩されたとき、「なかなかお念仏が出ませんねぇ・・・」と、恥ずかしそうにおっしゃっておられたお姿が、二十年以上経った今でも、懐かしく思い出されます。「お念仏を申しなさい」と教えてくださる仏様のお言葉を聞いて、よく分からないと悩むのではなく、お念仏を申せない私が問題となるところに、仏教徒としての尊さがあります。

困難な時、人は、自分の都合ばかりが問題となり、それ以外のことに目が向かなくなります。病人が、わがままになるというのは、そのことを表わしています。わがままな自分が、わがままであることに気づかないまま終わっていくのか、それとも、わがままな自分の有り様を問題として、正しく生きようとするのか、ここに、人生の大きな分岐点があるのではないでしょうか?人生は、ただ自分の思い通りに生きさえすれば、幸せなのでしょうか?そうではないことを、お釈迦様は、教えてくださっています。

仏様が教えてくださるお言葉を拠り所に、自らの人生の意味とその方向性を大切に味わっていく毎日をいただいていきましょう。

【住職の日記】

 

2024年7月1日

「敬うという心」

先日、嘉川保育園新園舎の内覧会の時のことです。当日は、百名を超える方々がお越しくださり、とても賑やかに内覧会を終えることができました。

内覧会の終了間際、今は小学六年生の卒園児達数名が、勢いよく駆け込んできました。朝からサッカーの試合があったらしく、試合後、ドロドロになったユニフォームのままで、急いで来園してくれたようでした。新園舎に入るなり、興奮した様子で口々に感嘆の声をあげながら、園舎内を走り回るように見学をしていました。

しかし、この子達が帰った後、保育園の職員から、とても嬉しい話を聞かせていただいたのです。それは、この子達が、二階のホールに見学に来た時のことです。来た時の勢いそのままに、階段を賑やかに駆け上がり、ホールに勢いよく飛び込んできたそうです。その後も、ホールの中を走り回ると思いきや、ホール正面に御安置されてある大きなお仏壇を見つけると、誰が言うでもなく、みんなきちんと正座をして、手を合わせて礼拝をしたというのです。

この子達は、正法寺の日曜学校には来ていません。保育園児だった頃は、毎日、仏様に礼拝をしていましたが、保育園を卒園してから六年が経過しています。それでも、お仏壇を前にすると、合掌と礼拝をせずにはおれなかったのでしょう。保育園児だった頃、毎日大切にしていたことが、今なお消えることなく、その子達の姿の上に生き続けていることが、とても嬉しく感動したことでした。

「礼拝する」や「敬う」という姿は、人間にとってとても大切なことです。しかし、この言葉が、最近は、あまり聞かれなくなった気がします。言葉が聞かれなくなっているというのは、その心が、人々の中から失われてきているということです。実際に、「礼拝する」や「敬う」という言葉を聞いて、その言葉通りの感動を感じる方は、少ないのではないでしょうか。どちらかというと、役に立たないものとして感じたり、単に難しく感じるだけの方も少なくないように思います。

そもそも、お寺という空間は、仏様を敬い、仏様に礼拝するための宗教空間として形作られているものです。しかし、近年は、お寺というと、観光する場所として広く認知されるようになりました。以前、奈良の東大寺にお参りさせていただいた時、大仏様を前にして、誰も礼拝している人はいませんでした。みんな、口を開けて、大仏様を見上げている人ばかりです。それは、過去の歴史的遺物として、その珍しさに感動しているだけで、そこに敬うという感受性はありません。これが普通であり、正常であるとする社会は、どこか不気味で恐ろしい感じさえします。

敬うという心は、自分の都合よりも大切なものに出遇い、それに対し頭が下がっていく心のことです。人間は、自らの都合を貪る貪欲と、その都合を邪魔するものに対して怒りを起こしていく瞋恚によって、その心が占領されていく存在です。これを、親鸞聖人は、「煩悩具足の凡夫」という言葉で、自らの有り様を深く見つめていかれました。私達は、貪欲・瞋恚・愚痴という煩悩の太い鎖に繋がれた不自由な存在なのです。お釈迦様の悟りを「解脱」という言葉で表現することがありますが、仏様の世界に出遇っていくことは、この不自由な身が、自由な身へと解放されていくことでもあるのです。

無病息災、家内安全、合格祈願、金運上昇などなど、自らの都合を大切なものとする言葉は、世の中に溢れています。しかし、本当に大切なものは、そこにはありません。本当に大切なものは、この私を正しい方向へと導くものでなければなりません。仏教で大悲と表現されていく純粋な仏心が、私を正しい方向へと導いてくださるのです。それは、あらゆる命の悲しみに寄り添うことの出来る心であり、あらゆる命の安らぎのために自らの命を犠牲にできる心です。私達は、そんな大きな清らかさの中に抱かれ、慈しまれている掛け替えのない存在であることを、親鸞聖人は、教えてくださっています。

仏様を敬うというのは、清らかな大悲、無限の優しさに心打たれ、煩悩の鎖に繋がれた自らの浅ましさを知らされていくことです。仏様に手を合わせた子ども達に、仏様を敬う心があるかどうかは分かりません。でも、自分の都合とは関係のないところで、仏様に手を合わせることが大切なことであることを知っている姿が尊いのです。敬う心は、そんな姿の上に少しずつ育てられていくものだと思います。

自分の都合に振り回されることなく、仏様に手を合わせることを丁寧に心がけていく日々を大切にしていきましょう。

【住職の日記】

 

2024年6月1日

「人生における本物の楽しみを求めて」

三月末、卒園していく保育園の年長組の子ども達一人一人とお話をさせていただいた時のことです。保育園で一番楽しかったことや、小学校に入学したら楽しみにしていることなど、様々なお話を一人一人とさせていただきました。保育園で一番楽しかったことについては、運動会や発表会、お泊まり保育や、外で友達と鬼ごっこをしたことなど、子ども時代にしか経験することができない素敵な思い出を、それぞれが、キラキラした笑顔で話してくれました。

その中で、一歳の時から保育園に来てくれていた、とても活発で元気な男の子の答えが、とても印象的でした。その子は、とてもキラキラした笑顔で「お勤め!」と答えてくれたのです。「え?お勤めって、朝のお勤め?」と聞き返すと、「うん!お勤めが、僕、一番好き!楽しい!」と、改めてニコニコしながら答えてくれました。

「お勤め」というのは、阿弥陀如来様に礼拝をし、読経をすることです。保育園では、ご本山で制定されている「幼児のおつとめ」という簡単な音楽礼拝から始まり、夏頃には、七高僧の第一祖に数えられる龍樹菩薩が制作された十二礼の和訳「らいはいのうた」、そして、秋頃からは、親鸞聖人が制作された「正信念仏偈」を三歳~五歳までの子ども達が、毎朝、お勤めしています。「正信念仏偈」になると、十五分~二十分ぐらいの時間がかかります。その間、子ども達は、正座をし、姿勢を正して、声に出してお勤めをするのです。その後、園長である住職から五分程度のお話があります。外で走り回ることが大好きな活発な男の子にとって、朝のお勤めの時間は、苦痛であっても不思議ではありません。しかし、その男の子は、楽しい!と言ってくれたのです。

この男の子の笑顔を見て、改めて、仏教における楽しさについて、考えさせられたことでした。仏教というと、本来、楽しさとは、かけ離れた印象を持っている人が多いと思います。欲望を満たすことを否定し、煩悩をコントロールしていくことを教えるのが仏教だからです。読経する時も、欲望のままに行動することは許されません。どれだけ、外で遊びたいと思っても、その思いをコントロールし、ジッと座っていなければならないのです。楽しいはずがないと、多くの人が思うのは当然です。

しかし、お経の中には、たくさん「楽」という字が使われています。親鸞聖人が真実の経として拠り所とされている『仏説無量寿経』の中にも、信心のことを「信楽」と表現されたり、お浄土のことを「安楽国」と表現されたりしています。「楽しみ」というのは、仏教において、とても大切な言葉として扱われているのです。

しかし、お経の中で説かれていく楽しみと、私達が求めている楽しみは、その中身に大きな違いがあります。親鸞聖人が尊敬された七高僧の第三祖に数えられる曇鸞大師の『往生論註』というお書物の中に、次ようなお言葉が示されています。

「大慈悲をもつて一切苦悩の衆生を観察して、応化身を示して、生死の園、煩悩の林のなかに回入して遊戯し、神通もつて教化地に至る。」

あらゆる命が抱える苦悩を大慈悲をもって受け止め、悲しみや苦しみが渦巻く煩悩の林の中に飛び込んでいくことを、「遊戯」という言葉をもって表現されています。人の悲しみや苦しみを背負っていくことは、決して楽しいことではありません。人の苦悩を背負うことは、自分の苦悩以上に重いものです。それを、遊戯と表現し、楽しみとして捉えていくのが、仏様の世界なのです。仏様における楽しみは、自らの欲を満足させることではなく、あらゆる命の悲しみを共に悲しみ、あらゆる命の幸せを実現していくところにあるのです。本当に楽しいことは、小さな悲しみも見捨てることなく、あらゆる命の幸せを願っていくところに実現していくということなのでしょう。

お浄土への歩みというのは、そんな本当の楽しみに向かった歩みです。阿弥陀如来様に礼拝することも、読経することも、お寺にお参りすることも、仏様に関わることの中には、本当の楽しみが満たされているのです。本当の楽しみに出遇った人は、本当の輝きを放っています。仏教というのは、教えに生かされ、本当の楽しみを味わう人によって、脈々と伝わってきたところが大きいのです。

人生において、楽しみを求めずに生きる人はいないでしょう。しかし、求める楽しみが、その人自身を虚しくさせたり、破滅させたりするのであれば、それは、本当の楽しみではないでしょう。娑婆世界に生きる私達が求めていく楽しみは、そんな偽りの楽しみであることが多いのです。

人生における本物の楽しみを求めて、仏法を聞き始めるのも、大きなご縁です。仏様を中心に、本物の楽しみを味わえる日々を大切にさせていただきましょう。

【住職の日記】

 

2024年5月7日

「仏に成るべし」

【住職の日記】

先日、四月から大学生になる日曜学校の卒業生数人が、高校卒業と大学入学の奉告に、お寺にお参りに来てくれました。久し ぶりに、本堂でお正信偈をお勤めし、住職から、短いはなむけの御法話をさせていただきました。みんな、とてもいい表情で、頷きながら、御法話を聞いてくれました。その時、京都の大学に進学する男の子が、次のようなお話をしてくれました。

 「僕の進学する大学は、芸術系の大学で、実技を中心に、三日間にわたって試験がありました。試験中は、京都のホテルに一人で泊まっていたんですが、試験が午後からだったので、午前中、京都市内を散策する時間もありました。西本願寺にもお参りしましたよ。十一時から御法話があったので、西本願寺で御法話を聞いてから、試験を受けに行ったんですよ。」

とても、うれしいお話を聞かせていただきました。京都には、様々な寺院や神社があります。その中で、神社ではなく寺院にお参りしてくれたこと、寺院の中でも、本願寺にお参りして御法話を聞いてくれたことが、何よりも有り難くうれしいことでした。

世間一般の感覚では、人生をかけた大切な試験の前には、寺院ではなく神社にお参りすることが当たり前ではないでしょうか。試験に受かるように、神様に願掛けをするのが一般的でしょう。京都なら、受験の神様を奉る神社が、たくさんあります。

蓮如上人の行実を伝える『蓮如上人御一代記聞書』というお書物の中に、次のようなお話があります。

「天王寺土塔会、前々住上人(蓮如)御覧候ひて仰せられ候ふ。あれほどのおほき人ども地獄へおつべしと、不便に思し召し候ふよし仰せられ候ふ。またそのなかに御門徒の人は仏に成るべしと仰せられ候ふ。これまたありがたき仰せにて候ふ。」

天王寺土塔会というのは、大阪の四天王寺南大門前にあった午頭天王を奉る神社で行われていたお祭りのことです。午頭天王は、京都の八坂神社の神様でもあり、疫病神として知られる神様です。有名な京都の祇園祭は、この疫病神である午頭天王を鎮め退散させるために、花笠や山鉾を出して京都市中を練り歩いたお祭りが起源だと言われています。蓮如上人が、大阪の四天王寺の近くを通られたとき、その前の神社で盛大に疫病神を鎮めるためのお祭りが行われ、多くの人がそのお祭りに参加されていたのです。その様子を見られた蓮如上人が、「あれだけの人々が地獄に落ちると思うと、胸が痛む」と仰られ、続いて、「阿弥陀如来の願いを聞かせていただき、お念仏の人生が恵まれている本願寺の御門徒の方々は、必ず仏に成るのだ」と仰られたというのです。

神社にお参りする人々を見て、地獄に落ちると胸を痛められた蓮如上人のお姿は、何を意味しているのでしょうか?地獄という世界は、自らの都合のみを貪り、周りの方々の善意を見失い、自分以外の様々な人々を鬼のような敵にしてしまう世界です。自分の願いを叶えようと、必死になる姿は、知らず知らずのうちに周りの人々を傷つけていきます。また、自分にとって都合の悪い出来事を避けようとする姿は、老病死を抱えるそのままの自分を否定する姿でもあります。

仏に成っていく世界というのは、あらゆる命を慈しみ、あらゆる命の悲しみに寄り添っていく仏様の清らかな願いに育てられていく世界です。それは、自らの願いのみを求めていく姿の上に、恥ずかしさを知らされ、老病死という思いのままにならない現状の上に、合掌していける尊い意味を頂いていく世界です。私の願いが叶うところには、必ず私以外の誰かが傷ついていく世界があることを忘れてはなりません。受験というのも、合格した人の背後には、必ず不合格を突きつけられた人がいるのです。その人達の悲しみに気づけるかどうかが、人生において、大切なことではないでしょうか。

仏様のみ教えというのは、自らの欲望に目がくらみ、真実を見失ってしまう者に、本当の安らぎの世界を教えてくださるものです。「地獄におつべし」と言われる世界に埋もれていこうとする私達に、「仏に成るべし」と言われる世界を恵もうとしてくださるのが、お念仏の働きです。

人生は、けっして平坦な道ではありません。険しい道に差し掛かった時にこそ、自分の願いではなく、仏様の願いを聞かせていただくことを大切にさせていただきたいものです。どんな時も、温かい仏様の願いの中にある私であることを大切に聞かせていただきましょう。

2024年4月8日

「三途の川」

【住職の日記】

先日、ある御門徒宅に七日勤めにお参りした時のことです。ご遺族の方から、次のようなご質問をいただきました。

「御住職、よく三途の川を渡ると言いますが、主人は、もう無事に三途の川を渡ったでしょうか?それと、やっぱり、四十九日の間は、この辺りを迷っているのでしょうか?主人のことが心配で・・・」

大切な方との今生の別れは、どんな人にも深い悲しみと決して小さくはない後悔を遺していきます。日本において、その悲しみと後悔を癒す大きな役割を果たしてきたのが、仏教でした。その中でも、死後四十九日まで続く七日ごとのお勤めは、遺族の方々の悲しみと後悔を癒やしていくのに、特に大切にされてきた仏事です。

元々は、四十九日まで続く七日ごとのお勤めは、インドの小乗仏教で説かれた中陰思想に基づいています。小乗仏教では、人間が死ぬと、次にまた生まれ変わると考えます。生まれ変わる世界は、天上界・人間界・修羅界・畜生界・餓鬼界・地獄界です。その人の生前中の行いによって、この六つの世界のどこかに生まれると考えます。しかし、すぐには生まれ変わりません。生まれ変わるまでには、ある程度の時間がかかると考えるのです。それが、七日です。最初の七日、初七日までに生まれ変わる先が決まらない人は、次の七日目、二七日に決まります。二七日に決まらない人は、次の七日目に、、、という具合に、七七日、四十九日までには、どんな人も次の生まれ変わり先が決まると考えるのです。今生から来世に移り変わるまでの中間的な存在を、中陰と言います。七七日は、中陰が満ちるということで、満中陰というのです。

この中陰思想が、インドから中国に入ってきます。その時、中国独自の十王信仰と重なり、七日ごとに十人の王から裁きを受けるという考え方に変化します。有名な閻魔大王は、五回目の七日目、五七日に裁きを下す王として登場します。三途の川というのも、この時に中国で成立した考え方です。三途というのは、地獄界・餓鬼界・畜生界の三つの悪道のことです。三途の川を渡るというのは、四十九日の間に、とりあえずこの三つの悪い世界には墜ちずに済んだことを表わすのです。そして、この中陰思想に追善供養という考え方が加わっていきます。生きている人が、亡くなった方に善い行いをプレゼントできるという考え方です。亡くなった方が、できるだけよい裁きを受け、天上界や人間界に生まれ変われるように、今生きている者が、亡くなった方の代わりに善なる行いを積み、その功徳を亡き方にプレゼントするのです。四十九日まで続く七日ごとのお勤めは、この追善供養として考えられてきたのです。

しかし、この多くの人々の悲しみと後悔を癒やしてきた中陰思想と追善供養の考え方を、親鸞聖人は、強く否定をしていかれました。お釈迦様が説かれた仏教は、人間界に留まったり、天上界に生まれることを教えるものではないからです。また、自分さえも救えない私には、自分以外の者を救うだけの本当の善なる行いは不可能だと自分自身を深く見つめていかれたからでした。

そして、本当の意味で人の悲しみと後悔を癒やしていく力は、人の力ではなく、阿弥陀如来の願いの力にあると見ていかれたのです。親鸞聖人は、死後の裁きを畏れて、自分勝手に描いていく善悪の世界に振り回されてはいけない。ただ、お念仏を申す人生を大切に生きなさいと教えてくださいます。お念仏を申す人生とは、阿弥陀如来の慈愛に抱かれていく人生です。どんな存在も、一人子のごとく愛され願われているのです。亡くなっていった方も、閻魔大王から裁かれる存在ではなく、阿弥陀如来から愛され願われる掛け替えのない仏の子としての意味をもっているのです。

故人を大切に思っている人ほど、悲しみや後悔も大きなものとなることでしょう。しかし、それは、阿弥陀如来に出遇っていく掛け替えのないご縁でもあるのです。人は、自力の虚しさに直面するとき、仏様の働きの尊さに出遇うことができるのです。浄土真宗において、四十九日までの七日ごとのお勤めは、悲しみと後悔の中に沈む人が、お勤めを通して、心配のない阿弥陀如来の深いお慈悲に出遇うためのものなのです。それは、大切な故人からいただいた掛け替えのない仏縁です。故人は、悲しみや後悔だけを遺して去っていくのではありません。悲しみや後悔の中に、清らかな慈しみの働きを響かせてくださるのです。

お勤めは、故人のために私がするものではなく、故人が、私のために仏様のお心を聞かせてくださっているのです。共々に、仏様の温かいお慈悲の中にあることを、大切に聞かせていただきましょう。

2024年3月5日