平成時代の終わりに思う

明けまして、おめでとうございます。今年も、御門徒の皆様と共にお念仏に薫る温かい日々を大切に過ごさせていただきたいと思います。
さて、本年四月で平成の時代も終わりを迎えます。一抹の寂しさを感じますが、時代の変わり目に出会わせていただくというのも、ありがたいことのように思います。現在のように一天皇一元号になったのは、明治からだそうです。慶応までは、一天皇の間に、事あるごとに元号は変えられてきました。元号が変えられる理由の多くは、地震や台風などの災害だったそうです。不幸なことが起こると、新しい時代に期待を込め、切り替えていくという意味があったようです。親鸞聖人が生きられた西暦一一七二年から西暦一二六二年までの九十年間の元号を調べると、実に三十もの元号があります。それだけ、災害や飢饉等も多く、人々の心が荒んでいった時代でもあるのでしょう。
そんな中、親鸞聖人の最後のご法語として伝えられているお手紙が現在まで大切に遺されています。この手紙の最後には、「文応元年十一月十三日 善信八十八歳 乗信御房」と記されています。親鸞聖人がご往生されるちょうど二年前に書かれたものです。善信というのは、親鸞聖人の房号です。昔の僧侶は、房号という親しい人達の間で呼び合う時のお名前をお持ちでした。親鸞聖人の正式なお名前は、善信房親鸞です。乗信房というお弟子に宛てられたお手紙であることがわかります。
この手紙の書き出しは、次のような言葉で始まります。

 「なによりも、去年・今年、老少男女おほくのひとびとの、死にあひて候ふらんことこそ、あはれに候へ。」

文応元年の前年は深刻な冷害で、食べ物が日本中から無くなる大飢饉が起こりました。『百練抄』という当時の記録には、京都壬生の少女が、死体を食べたという現実が記されています。道路には、死体や人骨が無数に横たわっているとも記されています。まさに地獄のような光景です。朝廷が、元号を新しく変えたのも頷けます。その地獄のような光景を、「あはれに候へ」と親鸞聖人も記されています。しかし、その後に次のように続けられます。

 「ただし生死無常のことわり、くはしく如来の説きおかせおはしまして候ふうへは、おどろきおぼしめすべからず候ふ。」

去年から今年にかけて、大人も子どもも、無数の人々が飢え死にしていった有様は、悲しいことですが、驚くことではありません。と記されているのです。それは、生まれたものが死んでいくことは、すでに如来様がお説きくださっていることであり、なにも特別なことではないからです。八十八年間、三十回近く元号が変わってきたような時代を生きてこられ、飢饉や災害で、無残に死んでいく人々を、これまでいやというほど目の当たりにしてこられたに違いありません。
そんな中で、最晩年の親鸞聖人が、最後に何を語っておられるのか、大切に耳を傾けていかなければなりません。続いて、次のように記されています。

「まづ善信が身には、臨終の善悪をば申さず、信心決定のひとは、疑なければ正定聚に住することにて候なり。さればこそ愚痴無智の人も、をはりもめでたく候へ。」

少し難しい言葉ですが、親鸞においては、どのような死に方をしようとも構わないとはっきり申されています。もがきながら飢え死にしていくこともあるかもしれない、地震に襲われ、突然悲劇の最後を迎えるかもしれない、しかし、どんな終わり方をしようとも、阿弥陀如来によって仏に成ることが約束されている身であるから、死すべき時が来れば、それもまた有り難いご縁だというのです。
まさしく、死の縁は無量です。私達は、死に様をあげつらい、「あの人の最後は可哀そうだった」「あの人は早すぎた」と勝手な人生の評価をしていきます。しかし、人の人生の価値は、死に様やその長さで計るものではないと、親鸞聖人はおっしゃるのです。無残に多くの人々の命が奪われていく様は、悲しいことですが、災害や飢饉に襲われなくても、人は必ず死んでいかなければならないのです。必ず死んでいくものが、今生きていることの不思議に思いをいたし、生きている今、何に出遇い、何を聞き、何をするべきか、それが大切だとおっしゃるのです。
時代や社会がどのように変わったとしても、仏に成っていくような尊い歩みを、死すべき時まで大切にさせていただきたいものです。

2019年1月8日