仏法を聞ける身であることを喜ばせていただきましょう

先月、一月二十九日・三十日の一泊二日の日程で、山口南組の僧侶研修旅行が行われました。行き先は、鹿児島県です。鹿児島県は、江戸時代から明治九年までの約三百年の間、島津藩によって浄土真宗が禁制されていました。日本史上における宗教弾圧の中で、江戸幕府によるキリシタンへの弾圧は一般的に広く知られていますが、薩摩藩島津による浄土真宗門徒への弾圧は、知らない方も多いのではないでしょうか。明治九年まで鹿児島県では、お念仏を口にする者、阿弥陀如来に手を合わす者は、役人に見つかれば、厳しい拷問を加えられた上、死刑に処せられていたのです。しかし、薩摩の浄土真宗門徒は、決してお念仏をやめることはありませんでした。山の奥深くに「ガマ」と呼ばれる洞穴を自ら掘り、その中で隠れてお念仏を相続されていたのです。その薩摩の浄土真宗門徒の姿を「かくれ念仏」と呼んでいます。

この度の一泊二日の旅行では、現在残っている小林市の「ガマ」にもお参りをさせていただきました。御門徒が、岩をノミで少しずつ削って掘った洞穴です。入口は、人ひとりがやっと身をかがめて入れるほどの狭さです。その後、三メートルほど身をかがまなければ通れない道が続きます。しかし、奥までいくと、詰めれば二十人程度は入れるかと思われる広い空間が広がっています。一番奥には、南無阿弥陀仏と刻まれた小さな石が、安置されていました。その中で、山口南組のご住職方と『讃仏偈』のお勤めをさせていただきました。岩に囲まれた洞穴の中でのお念仏は、小さな声でもよく響きます。洞穴の外には川が流れていますので、その川の流れの音がお念仏の声をカモフラージュしてくれたことでしょう。

明治九年まで、この洞穴の中では、隣の宮崎県から薬売りに姿を変えて薩摩に潜入した布教使が、深夜にお取次ぎをしてくださっていたそうです。見つかれば、即刻死罪です。まさしく、命がけの御教化をされていたのです。この暗い洞穴の中で、身を寄せ合い怯えながら、しかし、ご法義を喜びお念仏を口にされていた御門徒方の姿を想像すると、讃仏偈のお勤めをさせていただきながら、胸が熱くなる想いがいたしました。

鹿児島県に伝わる『かくれ念仏音頭』の一節を紹介します。

「薩摩島津の この村は
血吹き涙の 三百年
死罪・拷問 繰り返す
嵐の中の  お念仏」

これは八番まである内の二番の歌詞です。短い歌詞ですが、御門徒に対する弾圧の凄まじさが伝わってきます。島津による拷問は、石抱きの拷問や足の親指をくくって逆さづりにする拷問、滝壺に投げ込んで竹竿でつついて沈めて溺死させる拷問など、その所業は残虐を極めています。島津は、三百年間に亘って、浄土真宗門徒を根絶やしにしようとしたのです。しかし、御門徒方は、決してお念仏を捨てようとも、武装蜂起をして暴力で対抗しようともされませんでした。
そのお心の一端は、次の親鸞聖人のお手紙から味わうことができます。

「ただひがふたる世の人々をいのり、弥陀の御ちかひにいれと思し召しあれば、仏の御恩を報じまいらせたまふになり候ふべし。・・・よくよく念仏そしらん人をたすかれと思召して、念仏しあはせたまふべく候」

 お念仏する者を弾圧する人々は、憎むべき相手ではなく、むしろ、如来様のお慈悲に恵まれない深い苦しみを抱える人々であるから、その人々も必ずお慈悲のご縁に恵まれ救われていくように願いながらお念仏させていただきなさいとのお言葉です。親鸞聖人の時代にも、同じように念仏者に迫害を加える人々がいました。しかし、親鸞聖人のお言葉からは、如来様のお慈悲の前では、敵と呼べる相手は、もういないことがうかがわれます。たとえ、残虐な弾圧を加える人であっても、如来様の眼からみれば、掛け替えのない仏の子です。むしろ仏の子でありながら、地獄の所業を重ねていかなければならない憐れむべき者として慈しんでいらっしゃるのです。血吹き涙の三百年、御法義を護り続けてこられた薩摩の御門徒の方々も、このようなお心の中、お念仏を味わっておられたのでしょう。

仏法を聞く者の上に開ける如来の眼差しが、御門徒の方々を苦難から護りぬいたのです。仏法を聞ける身であることを喜ばせていただきましょう。

2012年3月1日