十六人で大切にお勤めされる報恩講

【住職の日記】

先日、浄土真宗本願寺派の布教使として、全国の様々なお寺に出講している友人から色んなお話を聞かせていただく機会がありました。同じ浄土真宗本願寺派のお寺でも、その姿は様々だといいます。その中で、御門徒わずか八軒で支える、ある過疎地域のお寺についてのお話が印象的でした。そのお寺では、御門徒八軒が協力し合い、報恩講を二日間にわたってお勤めされるそうです。参詣者は、必ず十六人だといいます。八軒の御門徒が、それぞれ必ずご夫婦でお参りされるからです。増えることも減ることもなく、二日間、十六人の参詣者のなかで、親鸞聖人の御遺徳を偲ぶ報恩講が、毎年、勤められているということでした。

最近、全国のお寺が消滅していくという話題をよく耳にします。急激な人口減少に伴い、過疎地のお寺が消滅していくのは、致し方のないことかもしれません。しかし、お寺にとって最も恐れなければならないのは、人が来なくなることではありません。たとえ、八軒の御門徒であっても、そこで本物のみ教えに出遇い、報謝の念仏が響くのであれば、立派なお寺としての存在意義があるのです。お寺は、世俗の価値観の中で営まれるビジネスではありません。この最も大切な点が、現在、社会的に非常に分りにくくなっていると思います。

本願寺中興の祖と讃えられる蓮如上人が書かれた『御文章』の中に「雪中章」と呼ばれているものがあります。この「雪中章」は、蓮如上人が没落していた本願寺の第八代目の御門主に就任し、約一〇年が経過した頃に書かれたものです。この時、没落していた本願寺教団は、蓮如上人の御教化によって、まさしく生まれ変わろうとしていた時期でした。北陸の吉崎という地に坊舎を構えた蓮如上人のもとに、数え切れない人々が、各地から群れをなして参詣に来るようになります。「雪中章」は、まさしく本願寺教団が、そのような上り調子のただ中にある時に書かれたものです。そこには、次のようにあります。

「加州・能登・越中、両三箇国のあひだより道俗・男女、群集をなして、この吉崎の山中に参詣せらるる面々の心中のとほり、いかがと心もとなく候ふ。そのゆゑは、まづ当流のおもむきは、このたび極楽に往生すべきことわりは、他力の信心をえたるがゆゑなり。しかれども、この一流のうちにおいて、しかしかとその信心のすがたをもえたる人これなし。かくのごとくのやからは、いかでか報土の往生をばたやすくとぐべきや。一大事といふはこれなり。幸ひに五里・十里の遠路をしのぎ、この雪のうちに参詣のこころざしは、いかやうにこころえられたる心中ぞや。千万心もとなき次第なり。」

少し言葉が難しいかもしれませんが、何度も読み返していると、五〇〇年前の蓮如上人の熱い情熱が響いてきます。五里・十里という五〇キロ前後の道のりを深い雪の中、かき分けながら命がけで参詣してきた数え切れない人々に対して、ひと言も「よくお参りされました」というような褒める言葉も労う言葉もありません。「あなた方には、信心がない」とお諭しになり、「どうやってお浄土に生まれるおつもりか」と深い問題を誰もが抱えていることを一大事として投げかけておられます。

もし、蓮如上人が、個人的な我欲を満たすために、また、本願寺教団の勢力を拡大するために活動していたのであれば、自分のもとに群れをなして集まってくる人々に対して、労い、喜び、感謝するのではないでしょうか。しかし、人が多く集まり経済的に安定していくことは、本願寺教団の再生を目指していた蓮如上人にとって、何の喜びにもならなかったのです。それは、本願寺教団の再生は、真の仏法の再生なくしてはあり得なかったからでしょう。真の仏法の再生は、仏様の深い心とその言葉によって、自己中心の我欲を満たそうとする世俗の価値観が打ち破られ、如来のお慈悲によって生かされ、お慈悲によって人間境涯を安らかに終えてゆける、そんな本物の仏教徒の誕生以外にはありえません。

お金や地位や名誉、健康、家族、この世で私の都合に味方してくれるものは、必ず私を捨てていきます。この世のあらゆるものは無常です。私自身も、また無常なのです。本当に信じられるものは、どんなことがあっても私を捨てていかないものでしょう。それが何であるのかが説かれる場所がお寺であり、それを求め出遇い、本当の人生に目覚めていく人々が集う場所がお寺なのです。

十六人で大切にお勤めされる報恩講の姿は、改めて、お寺があることの大切な意味を教えていただいたお話でした。

(令和元年11月1日)

2019年11月1日