New 仏教は、知識よりも智慧を尊ぶ教え

先日、ご縁が調い、ご本山本願寺に布教に関わる研修を、五日間にわたって受講させていただきました。スケジュールを五日間空けることが難しく、前々から受講したい思いはありましたが、なかなか実行に移すことが出来ないでいました。しかし、この度、たまたま様々なご縁が調い、有難くも受講をさせていただくことができました。住職、ご院家さん、先生と呼ばれる日常から離れ、久しぶりに一生徒として学ぶ場に身を置かせていただいた事は、大きな気づきを色々といただいたことでした。

全国から集まった受講生とともに、五日間学ばせていただく中で、他の受講生とも色んなお話をさせていただく機会がありました。年齢は、三十歳代から八十歳代まで様々な年代の方々がいらっしゃいました。それぞれに、色んな想いを持って学びに来られていましたが、その様々な尊い想いに出遇わせていただいたことが、とても有難く感じたことでした。

あるご住職は、お寺を護持していくことが御門徒だけでは難しく、平日は、会社に勤める日常を送られているということでした。課長職として日々世俗の価値観に追われる中で、僧侶としてみ教えときちんと向き合う時間をいただきたいとの思いで、休みをとって来られていました。また、ある方は、浄土真宗のお寺でもご門徒の家の出身でもないにも関わらず、肉親との死別をご縁に浄土真宗のみ教えに出遇われ、お得度をされ僧侶となり、さらにこのみ教えを多くの人々に伝えたいとの強い思いをもって、受講に臨まれている方もおられました。想いはみんなそれぞれでしたが、共通していたのは、それぞれの人生の悩みや苦しみを抱える中で、仏教のみ教えと素直に向き合っていこうとされるとても謙虚で純粋なものでした。この謙虚な想いを持つことが、とても大切なことだと思います。

実は、仏教の教えというのは、聞けば聞くほど分からないことがたくさん出てくるものなのです。なぜなら、仏様の世界は、私達には完全に理解することは不可能だからです。しかし、このように私には分からないものだからこそ有難いのです。私に簡単に分かってしまうものなら、それは、私程度でも理解が出来るつまらないものでしょう。私程度では理解の出来ない尊いものだからこそ、一生涯かけて学ばせていただく価値があるのです。

また仏教は、知識よりも智慧を尊ぶ教えです。知識は、仏教を知的興味の対象として学ぶ中に身についていくものです。それは、たくさんのことを覚え知っているというだけのことです。どれだけ知識を蓄えていても、それは、自らの血となり肉となることはありません。冷蔵庫にたくさんの食材を溜め込んでも、それを調理して頂かなければ、何の役にも立たず、ただ腐っていくのと同じことです。智慧は、私の人生の上に仏教の教えを頂く中において、身についていくものです。それぞれの人生において、謙虚にみ教えと向き合っていく時、喜びの中に響いてくる言葉、悲しみの中に響いてくる言葉があります。その積み重ねの中に、自然と仏様のものの見方、味わい方が身についてくるのです。その身についたものを智慧というのです。

仏教を聞く上において、分からないことがあるのは問題ではありません。それは、今の自分には、響かない事柄なのでしょう。仏様というのは、大勢を前にして、講義のように、同じことを教えているのではありません。その人その人に仏様は寄り添い、その人に応じた言葉を響かせてくださるのです。本当に喜びや悲しみの中に、素直に教えと向き合う時に、仏様のお心は必ず響いてくださいます。それを素直に喜んでいく、お念仏を申す日暮しというのは、その連続なのです。

しかし、私達は、自分勝手な思いを深め、傲慢になっていく性質を根本的に持っています。教えを聞かせていただく身でありながら、教える立場になったり、仏様の言葉よりも自分の言葉を正しいと思いこんだりする中に、迷いを深めていきます。

親鸞聖人が、「親鸞は弟子一人ももたず候ふ」と常々おっしゃっていたことを、唯円という方が『歎異抄』の中に記しておられます。親鸞聖人は、自分を師匠と仰ぐ人々の前においても、教えるという立場をとっておられなかったことが分かります。それは、仏様のお言葉を一緒に聞かせていただく尊い仲間という立場です。八十歳、九十歳になられても、聞かせていただくという立場から決して離れることはなかったのです。これが、教えと真面目に向き合っている方の本当のお姿でしょう。親鸞聖人が、生涯大切に聞かれた同じみ教えを、私達も、それぞれの人生の上において、大切に向き合い聞かせていただきましょう。

2019年3月7日

六道

私達、浄土真宗の流れをくむ者にとって最も大切な御正忌報恩講が、今年も多くの方々の御報謝によって無事お勤めさせていただくことができました。まことにありがとうございました。
御正忌報恩講は、一言で言うと親鸞聖人のご法事です。親鸞聖人の二十五回忌の時、親鸞聖人の曾孫に当たる本願寺第三代目門主の覚如上人という方が、この法事を報恩講と名付けられました。それは、親鸞聖人の御恩に報いる集まりという意味です。
この度、三重県から布教使の内田正祥先生をお招きし、三日間にわたって本当に有り難いお取次ぎをいただきました。その中で、二日目の夜座、大逮夜のご縁に、六道の中での人についてお話しをくださいました。六道というのは、地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天という仏教の世界観を説いたものです。迷いの存在は、この六世界を経めぐっていくというものです。善意を受け取る心を喪失し、あらゆるものが鬼となり、自らが苦しみの極まりに落ちていく地獄、足るを知らず貪り続ける餓鬼、恥ずかしさを忘れ欲望をむき出しにしていく畜生、他人を蹴落としていくことだけを求めて生きる修羅、有頂天になり物事の本質を見失う天、これらの世界は、誰もが落ちる可能性を秘めています。その中で、人という世界は、これら五つの世界に生きる在り方を省みて、自らの生き方を申し訳ないものとして自覚できる世界だといいます。そして、人の世界に住む者だけが、お寺にお参りし仏法に耳を傾けていくというのです。仏様の言葉に耳を傾けていくというのは、地獄・餓鬼・畜生・修羅・天の世界に住む者には決してできないことです。人の世界に住んでこそ、仏様の言葉は身に響くのです。
この度、そのことを目の前ではっきりと教えられたことがありました。それは、六道のお話を聞かせていただいた報恩講二日目の夜座が終わった後のことでした。参詣者も帰られ、後片付けが終わり、明日に備えて休もうとしていた午後十一時過ぎのことでした。お寺で飼っている猫が、鳴きながら帰ってきました。いつも、十一時前後に一度帰ってくるのですが、いつもと鳴き方が違いました。いつもは、二声ほどしか鳴かないのですが、その日は、何度も興奮したように鳴き続けます。何かあったのかと思い、慌てて部屋から廊下に出てみると、ものすごく大きなネズミが猫の足元に横たわっていたのです。猫は、飼い主に獲物を見てほしかったのでしょう。何度も嬉しそうに住職の足元にすり寄ってきました。その後、ネズミを口で咥えて、廊下の隅まで運び、そこでネズミの体を一心不乱に食いちぎって食べていました。猫の姿としては、自然なことです。しかし、報恩講の中日に、その姿を目の当たりにしたことで、色々と考えさせられたことでした。
私達人も、生き物を殺し、その肉を口にしていきます。他人が殺した生き物を口にすることも同じことです。生き物の肉を口にし、美味しいと微笑んでいく姿は、ネズミを食いちぎる猫の姿と何ら変わりはありません。しかし、違う点は、人の世界に住む者は、その姿を申し訳ないと慎んでいくことができるところだと思います。報恩講の三日間は、お寺では肉や魚は口にしません。それは、報恩講の三日間は、親鸞聖人の御遺徳を偲ぶ中で、普段の自らの生き方を省みて、慎んでいくからです。
数十年前までは、正法寺の報恩講は、朝・昼・晩と一日三食のお斎が用意されていたと聞かせていただきました。報恩講期間中は、子どもも大人も早朝からお寺に参詣をし、お精進のお斎を頂いて、学校や仕事場に向かっていたそうです。また、それぞれの御門徒のお家でのお食事も、三日間、お精進のお料理をいただかれていたとも聞かせていただきました。日常生活に追われる中にあっても、きちんと自らのあり方を省みて、慎み、教えに耳を傾けていく、そのような人間らしい生き方を大切にしておられたのでしょう。
報恩講期間中、お寺に住み、鐘の音を耳にしながらも、自らの姿を省みることなく、いつものように殺生をし喜んでいる猫の姿は、胸に痛みを覚えるものでした。なぜなら、私自身も、そんな畜生の世界に住む可能性を秘めていると改めて教えられたからです。仏法を聞くご縁をいただくことは、本当に難しいことだと思います。しかし、如来様は、決してあきらめず喚び続けてくださいます。自らを省みることのないものの姿を悲しんでおられます。
人としての心をいただきながら、獣のような一生を送ることは、自らの命に対する裏切りです。無常迅速の命を生きる私達です。お寺にお参りし、仏法に耳を傾けていくことを、努めて大切にさせていただきましょう。

2019年1月28日

平成時代の終わりに思う

明けまして、おめでとうございます。今年も、御門徒の皆様と共にお念仏に薫る温かい日々を大切に過ごさせていただきたいと思います。
さて、本年四月で平成の時代も終わりを迎えます。一抹の寂しさを感じますが、時代の変わり目に出会わせていただくというのも、ありがたいことのように思います。現在のように一天皇一元号になったのは、明治からだそうです。慶応までは、一天皇の間に、事あるごとに元号は変えられてきました。元号が変えられる理由の多くは、地震や台風などの災害だったそうです。不幸なことが起こると、新しい時代に期待を込め、切り替えていくという意味があったようです。親鸞聖人が生きられた西暦一一七二年から西暦一二六二年までの九十年間の元号を調べると、実に三十もの元号があります。それだけ、災害や飢饉等も多く、人々の心が荒んでいった時代でもあるのでしょう。
そんな中、親鸞聖人の最後のご法語として伝えられているお手紙が現在まで大切に遺されています。この手紙の最後には、「文応元年十一月十三日 善信八十八歳 乗信御房」と記されています。親鸞聖人がご往生されるちょうど二年前に書かれたものです。善信というのは、親鸞聖人の房号です。昔の僧侶は、房号という親しい人達の間で呼び合う時のお名前をお持ちでした。親鸞聖人の正式なお名前は、善信房親鸞です。乗信房というお弟子に宛てられたお手紙であることがわかります。
この手紙の書き出しは、次のような言葉で始まります。

 「なによりも、去年・今年、老少男女おほくのひとびとの、死にあひて候ふらんことこそ、あはれに候へ。」

文応元年の前年は深刻な冷害で、食べ物が日本中から無くなる大飢饉が起こりました。『百練抄』という当時の記録には、京都壬生の少女が、死体を食べたという現実が記されています。道路には、死体や人骨が無数に横たわっているとも記されています。まさに地獄のような光景です。朝廷が、元号を新しく変えたのも頷けます。その地獄のような光景を、「あはれに候へ」と親鸞聖人も記されています。しかし、その後に次のように続けられます。

 「ただし生死無常のことわり、くはしく如来の説きおかせおはしまして候ふうへは、おどろきおぼしめすべからず候ふ。」

去年から今年にかけて、大人も子どもも、無数の人々が飢え死にしていった有様は、悲しいことですが、驚くことではありません。と記されているのです。それは、生まれたものが死んでいくことは、すでに如来様がお説きくださっていることであり、なにも特別なことではないからです。八十八年間、三十回近く元号が変わってきたような時代を生きてこられ、飢饉や災害で、無残に死んでいく人々を、これまでいやというほど目の当たりにしてこられたに違いありません。
そんな中で、最晩年の親鸞聖人が、最後に何を語っておられるのか、大切に耳を傾けていかなければなりません。続いて、次のように記されています。

「まづ善信が身には、臨終の善悪をば申さず、信心決定のひとは、疑なければ正定聚に住することにて候なり。さればこそ愚痴無智の人も、をはりもめでたく候へ。」

少し難しい言葉ですが、親鸞においては、どのような死に方をしようとも構わないとはっきり申されています。もがきながら飢え死にしていくこともあるかもしれない、地震に襲われ、突然悲劇の最後を迎えるかもしれない、しかし、どんな終わり方をしようとも、阿弥陀如来によって仏に成ることが約束されている身であるから、死すべき時が来れば、それもまた有り難いご縁だというのです。
まさしく、死の縁は無量です。私達は、死に様をあげつらい、「あの人の最後は可哀そうだった」「あの人は早すぎた」と勝手な人生の評価をしていきます。しかし、人の人生の価値は、死に様やその長さで計るものではないと、親鸞聖人はおっしゃるのです。無残に多くの人々の命が奪われていく様は、悲しいことですが、災害や飢饉に襲われなくても、人は必ず死んでいかなければならないのです。必ず死んでいくものが、今生きていることの不思議に思いをいたし、生きている今、何に出遇い、何を聞き、何をするべきか、それが大切だとおっしゃるのです。
時代や社会がどのように変わったとしても、仏に成っていくような尊い歩みを、死すべき時まで大切にさせていただきたいものです。

2019年1月8日

理解ができなくても、教えられたことは、まずやってみなさい。

先日、ある御門徒のご法事で、お斎をいただく際、こんなことがありました。お斎というのは、仏事の時に供される食事のことをいいます。最初に、合掌して、みんなで食前の言葉を口にした時のことです。食前の言葉というのは、ご本山で推奨されている「頂きます」のご挨拶です。最初に住職か御当家の当主が「多くのいのちと皆様のおかげにより、この御馳走を恵まれました」と口にします。それに続いて参詣者全員で「深く御恩をよろこび、ありがたくいただきます」と口にするのが、正式な形です。しかし、多くの場合、この食前の言葉を覚えていない方がほとんどで、参詣者全員で口にする箇所も、住職一人で口にし、後の方々は、合掌したまま聞いているだけのことも多いのです。それが、その時は、四十歳代と五十歳代の男性お二人が、後の句をご一緒に口にしてくださったのです。お二人は、御当家の息子さん方ですが、普段は、山口県外でお仕事をされておられ、お寺のご法座でお見掛けしたことは一度もありません。食前の言葉を言い終わった後、お二人がニコニコされながら「覚えてるもんやなぁ」と一言おっしゃったので、どこで覚えたのかをお尋ねしました。すると、お二人とも、正法寺が運営する嘉川保育園の卒園児で、保育園を卒園した後も、中学生になるまで日曜学校に通っていたということでした。子どもの頃、保育園や日曜学校で食事をいただくとき、友達と一緒に合掌して口にしていた言葉が、まだ消えずに残っていたのです。日曜学校を卒業してから四十年以上、口にしていなかった言葉が、自然と口に出たことが、とても懐かしく嬉しいと感慨深くされておられた姿が印象的でした。

昔、仏教を教わったある先生から、こんなことを言われたことがあります。

「理解ができなくても、教えられたことは、まずやってみなさい。やっているうちに、意味が味わえてきます。納得してからやろうと思っている人は、いつまで経ってもすることができません」

若いころ、この言葉を聞いた時には、正直なところ、あまり実感として響きませんでした。しかし、年齢を重ねるにつれ、この言葉の意味するところが、ありがたく味わえるようになってきました。これも如来様のお育てのおかげです。

考えてみますと、世の中には、分からないことや納得のできないことの方が多いのではないでしょうか。世の中は、私の理解できるものばかりで出来ていると思っている人は、とても視野の狭い人かもしれません。どこまでも視野が広がり、どこまでも成長し続ける人というのは、不思議で世界が満たされている人なのではないでしょうか。親鸞聖人や法然聖人のような歴史に名を刻む偉大な宗教者の方々は、お歳を召されても、幼少の時と変わらないキラキラとした驚きや感動をもっておられます。親鸞聖人や法然聖人が遺された言葉は、何百年経過しても、人に感動を与え、目覚めさせていく力を持っています。それは、相手を納得させようとして紡ぎだされた理屈ではなく、ただただ仏智の不思議に驚き感動するキラキラとした心から紡ぎだされたものだからです。

仏教というのは、本来、人の理屈では説明のできない、不思議な事実を教えていくものです。教えの言葉を伝えることはできても、その言葉が伝えようとする不思議に驚き感動していくのは、その人一人一人の感受性の問題です。その人自身が体験しなければ、伝わらない事柄があるのです。

食事を毎日頂くということに、どんな驚きと意味があるのか、それは理屈で理解しても意味がありません。頭の中で理路整然と食事をいただくことの意味を説明できることと、本当に実感として掛け替えのない命を毎日頂いていることへの驚きを持つことは別のことです。その驚きを持った人が、食事の時、どのような事を口にし、どのようなお姿をとられるのか、それを形として教えてくれているのが、合掌して頭を下げ、食前食後の言葉を口にする姿なのでしょう。

手を合わせなさい、頂きますを言いなさい、と教えられた時、「なんでそんなことを・・・」と言う前に、素直にうなづき、教えられたとおりにさせていただく、そのような柔らかく純粋な心が、その人に多くの大切なことを気づかせ、正しい道を開いていくのです。

本当に愛情を持って教えてくださる言葉を疑うことは、大きな罪です。仏様というのは、深い慈しみそのものであり、最も愛情深い働きです。その仏様が教えてくださること一つ一つに素直にうなずいていく中に、自然と真実の歩みが恵まれてくるのでしょう。

2018年12月1日

電気が流れていない電線

先日、ある御門徒の方から次のようなお尋ねをいただきました。

「御住職さん、母の七回忌が、おそらく三年後ぐらいになると思うのですが、それぐらいまでは、私もなんとか元気に過ごせるものと思っています。でも、その後の十三回忌は、元気でいられるかどうか心配なんです。その頃、私も九十歳前になります。生きていても、母の法事を責任もって勤められるかどうか不安です。それで、十三回忌のご法事を五年くらい早めて勤めてもらうのは、いけませんか?私がいなくなったら、私以外に当家の法事を勤める人はいません。これから、母の法事をはじめ、当家の法事はどのようにしていったらいいのでしょうか?」

最近、正法寺門徒の方々の中でも、こういった後継者に関する切実な悩みが増えていることを感じます。時代が変わり、社会の価値観が変わり、家を継ぐという意識は確実に希薄になっています。江戸時代から続く、いわゆる伝統的な檀家制度の中で営まれてきた仏教寺院の活動の在り方も、問われていく時代になりました。

現在も残っている檀家制度は、西暦一六一二年に江戸幕府がキリスト教禁止令を出したことに始まります。江戸幕府は、国民一人一人にキリシタンではないことの証明として、どこかの仏教寺院に所属することを義務付けたのです。そして、仏教寺院に対しては、所属し檀家となった国民に対して、寺請証文という証書を発行することを義務付けました。この寺請証文は、旅行や引っ越しの際にも必要とされ、いわゆる現在のパスポートのような役割もありました。どこの仏教寺院にも所属せず、寺請証文を持たない人は、非人とされ、社会生活から除外されなければならなかったのです。江戸幕府は、仏教寺院に宗教統制を行う機能だけでなく、国民の戸籍を管理する役所の機能も持たせたのです。当然、仏教寺院は、社会的に大きな力を持つようになり、人々は、仏教寺院を中心に生活を送るようになります。所属する寺院の住職に法事を勤めてもらうというのも、社会生活を送る上で、絶対に欠かしてはいけないことでした。もし、寺院との関係が希薄になれば、社会から除外される危険が常に国民の上にはあったのです。

こういった江戸時代から続く仏教寺院に対する怖れの意識は、現在においても根強く残っているように思います。檀家制度というのは、これまで仏教寺院を支えてきた反面、その繋がりは、必ずしも宗教的な心情で繋がってきたものとはいえないところがあるのです。また、この制度は、お寺と仏事を形骸化させてしまった面もあります。

元々、檀家という言葉は、檀波羅蜜(ダンパラミツ)という仏教用語からきています。檀波羅蜜というのは、他人に財を施す布施を意味する言葉です。檀家というのは、寺院に対して布施をして経済的に支援する家という意味です。しかし、浄土真宗の寺院では、寺請制度があった江戸時代においても檀家ではなく、御門徒と呼んでいました。門徒というのは、同じ道を歩む仲間という意味です。それは、国民を管理する側の僧侶も、管理される側の門徒も、同じ阿弥陀如来から願われている仏の子であり、お念仏という同じ尊い道を共に歩んでくださる大切な仲間だからです。そこには、たとえ社会がどのように変化しても、決して変わることのない仏教精神が流れていました。そして、浄土真宗の御門徒は、寺請制度が息づく社会にあっても、お寺と仏事の意味を見失うことなく、大切に仏法を伝えてきた面が大きいのです。

阿弥陀如来は、私一人を大悲してくださっています。仏法は、本来、私が聞かせていただく教えであり、私が歩ませていただく道です。決して、人のために利用するものではありません。お寺も法事も、私のために用意されてあるのです。お寺や法事という形そのものにこだわるのではなく、私の生死に深く関わる問題として、お寺も法事も味わっていくべきでしょう。

電気が流れていない電線は、いくら最新の高機能のものであっても、存在価値はありません。常に電気が流れていてこそ、電線の存在価値はあるのです。お寺や法事も同じです。形式だけ残っても存在価値はないのです。お寺や法事という形式の中に、ビビッと痺れるような超世俗的な仏教の心が流れていなければなりません。時代が変わっても、生老病死という人の抱える根本苦悩は変わらないのです。どのような時代になろうとも、人として大切にすべきものが何であるのかを見失うことなく、大切に仏法に関わっていきたいものです。

2018年11月1日

東本願寺と西本願寺の違い

先日、九月二日に開催された三十六回目となる公開講演会に、同朋大学の蒲池勢至先生をお招きしました。蒲池先生は、浄土真宗の御門徒の中で脈々と受け継がれてきた習俗や風習を研究する真宗民俗学の研究者です。「真宗門徒のゆくえ」という演題でお話しくださった講演も、大変ありがたいものでしたが、控室で、東本願寺と西本願寺の違いについてお話しくださったのも、とても興味深いものでした。
蒲池先生は、東本願寺をご本山とする真宗大谷派のご住職です。正法寺は、西本願寺をご本山とする浄土真宗本願寺派のお寺です。西本願寺と東本願寺は、元々一つの本願寺ですが、四〇〇年前に東西に分裂して以降、現在に至るまで、同じ親鸞聖人を宗祖と仰ぎながら、全く別の教団組織として活動してきました。山口県内には、東本願寺のお寺が三か寺しかありません。一方で西本願寺のお寺は、六三〇か寺を超えます。山口県で、真宗大谷派のご住職にお会いするのは、本当に稀なことなのです。それだけに、蒲池先生から聞かせていただいたお話は、とても新鮮で興味深いものでした。
その中で一つご紹介すると、お供え物に対する解釈の違いがあります。西本願寺では、お仏壇にお供えする果物やお菓子は、「お供え物」と書きます。しかし、東本願寺の方では、「お備え物」と書くそうです。これは、「供える」という文字に、「私が仏様に差し上げる」という意味があるからだそうです。本来、お仏壇のお飾りは、仏様のお心や働きを形として私に示してくださるものです。お供え物も、私が差し上げて初めて完成されるのではなく、本来備わっているものを、私がさせていただいているだけという解釈をするそうです。
一方で、西本願寺の伝統は、お供え物を本来備わっている物とは解釈しません。それは、お供え物というのは、仏様に対する敬いの心を表わすものと解釈するからです。お供えさせていただくお菓子や果物は、如来様から恵まれたものです。その点では、東本願寺と同じ味わいです。しかし、恵まれたものを仏様に供えるという行為は、その人の仏様を敬い感謝していく心の表れであり、西本願寺では、その行為を尊く大切なものとして認めていきます。しかし、西本願寺でも仏様に願い事を叶えてもらうため、自身の極楽往生を実現するため、などの祈願を目的に供え物をすることは、否定されています。おそらく東本願寺の方では、このような祈願の行為に陥る危険性をできるだけ排除する意識から、供えるという言葉を嫌ってきたのでしょう。どちらの伝統も、それぞれに有り難さを感じます。
実は、他の宗教にはない仏教における大きな特徴の一つが、この教団にあるのです。仏教では、帰依すべき宝物として、仏・法・僧の三宝が示されます。仏とは、悟りを開かれた清らかな仏様、法とは、その仏様が説かれたみ教え、僧とは、そのみ教えを尊び敬っている人々の和やかな集いを意味しています。僧とは、本来、インドでは、お坊さんのことではなく、僧伽(サンガ)を意味していました。この仏教徒の集い、つまり教団を宝物として、帰依する対象とするのは、仏教の大きな特徴なのです。
なぜ、教団が帰依すべき宝物なのでしょうか。それは、仏教の教えは、人の上に現れるからです。キリスト教やイスラム教のような啓示宗教の場合、人は、預言者が語る神の言葉に導かれます。その神の言葉が記された書物を聖書といい、この唯一の聖書が根本となります。しかし、仏教の場合、教えというのは、八万四千の法門と言われるように、仏様の言葉が記された経典は無数に存在します。それは、仏教という教えが、人の上に現れるものだからです。人は、それぞれに心を持ち、それぞれに人生の苦悩を抱えていきます。それは、一様ではありません。まさしく千差万別です。お釈迦様が説かれた歩むべき道は、その違いを持った一人一人に応じて説かれたのです。仏教徒一人一人の生き方の上に、言葉では語り尽くすことのできない教えの深みと尊さが現れていきます。その仏教徒達の後ろ姿に導かれ育てられてきたのが、仏教教団の伝統なのです。実際に、経典や僧侶が語る言葉よりも、祖父母の合掌する姿やお念仏される後ろ姿に育てられた人が多いのではないでしょうか。
それぞれのサンガ(教団)の存在は、そこに集う人々が、それぞれの生き様と死に様の上に、仏様のみ教えを響かせてきた証でもあるのでしょう。仏教は、人々が集うサンガの中に身を置くことで、はじめて教えられ育てられるものなのです。お寺にお参りし、さまざまな和やかな集いの中に身を置くことの大切さを、改めて確認させていただきたいものです。

2018年10月10日

「その篭を水につけよ、わが身をば法にひてておくべきよし。」

先日、ある御門徒のご法事でのことです。当家のご長男がご結婚されたとのことで、ご親戚への披露も兼ねて、新しいお嫁さんも、初めて当家のご法事にお参りをされたのです。慣れない中にも、きちんと仏婦式章を着けられて、ご法事の席に座られている姿はありがたいものでした。お勤めとご法話が終わり、御当主から順番にお焼香をしていただきました。御当主、奥様、ご長男、、、と順番に続き、お嫁さんの順番になりました。お香を一つまみ香炉に入れ、お念珠を手にかけ、合掌し礼拝されました。ここまでは、誰でも出来る普通のことでしょう。しかし、驚かされたのは、合掌された時に、声に出してお念仏を何度も申されたことです。このお嫁さんは、浄土真宗のお念仏が聞こえるご家庭で育ってこられた方なのかなと嬉しく思いました。

ところが、実際はそうではなかったのです。お斎を囲みながら、そのお嫁さんに、ご実家の御宗旨をお尋ねしました。すると、浄土真宗ではなく、真言宗でした。しかも、お父様は旦那寺の檀家総代を務めておられるということでした。真言宗というのは、弘法大師空海が開かれた仏教です。念仏も唱えますが、ご本尊は、阿弥陀如来ではありません。大日如来です。そして、口にはマントラとも言われる大日如来の真実の言葉を唱えます。しかも、密教といわれるように、そのマントラは一子相伝です。基本的に、師匠が認めた弟子にしか教えません。誰にでも教えられるような軽いものではないからです。これだけでも、浄土真宗とは、かなり雰囲気が違うことが分かります。もちろん、お念珠のかけ方やお焼香の作法も全く異なります。

どうして、浄土真宗のみ教えに順った作法を滞りなくされたのでしょうか。そのことが疑問になり、お嫁さんにお尋ねをしました。すると、とても有り難いお答えが返ってきたのです。それは、素直に真似をしたというものでした。つまり、浄土真宗の作法が分からないお嫁さんは、自分より先にお焼香をされる方々の動きを一生懸命に見ていたというのです。お義父さん、お義母さん、ご主人、三人共が口に「なまんだぶつ・・・」とお念仏を称えながら合掌礼拝をしていたから、自分も、そのようにさせていただいたというのです。簡単なことのようですが、これが大変難しいことなのです。

念仏を口で称えることを、法然聖人は「易行」と申されました。それに対し、山に籠り厳しい戒律を保ちながら行う行を「難行」と申されました。千日回峰行などの修行に比べれば、念仏は、老いも若きも女性でも男性でも、誰にでも行うことのできる易しい行だからです。しかし、親鸞聖人は、阿弥陀如来の願いを素直に聞き、素直に念仏していく心の有り様を「難信」と申されています。念仏を称えるという行いは、誰にでもできます。しかし、念仏を称えるという生き方を素直に受け入れていくことは、決して易しくはない、難しいというのです。人は、素直になることが、実は一番難しいのです。

仏教というのは、一度聞いてパッと理解できるものではありません。お釈迦様の言葉は、2500年もの年月を掛けて、数知れない多くの人々が、その内容を探求し続けてきたのです。仏様の教えの言葉は、想像を絶する深みをもっています。深みを持った言葉は、理屈よりも感性に響いていくのです。しかし、理屈のみにこだわり、自分に理解できなければ、それはつまらないものと判断していく人が、案外多いのではないでしょうか。

蓮如上人の時代、ある人が、仏法を何度聞いても、カゴの中に水を入れたように、何にも頭に残らないことを、蓮如上人に相談された方がおられたようです。その悩みに対する蓮如上人のお答えは、「その篭を水につけよ、わが身をば法にひてておくべきよし。」というものでした。私が仏法をものにするのではなく、仏法の中に私自身を浸しておくのだというのです。これは、素直に教えられたように身を預けていくということです。仏様からお念仏申しなさい、と教えられれば、素直にお念仏を申せばよいのです。仏法を聞きなさい、と教えられれば、素直に聞けばよいのです。人の言葉は、疑ってかからないと危険です。人の言葉を鵜呑みにするのは、危険なことです。しかし、仏様の言葉は、疑ってはいけないのです。鵜呑みにしなければ、何も響いてこないのです。

仏様の言葉を鵜呑みにした人の姿の上には、尊い薫りが遺ります。お嫁さんは、親子で素直にお念仏を申される、その姿の上に、理屈ではない尊い薫りを感じとられたのでしょう。人から人へ仏法が伝わっていく尊いご縁に遇わせていただきました。

2018年9月8日

「御恩報謝の念仏」

先日、ある御門徒のご法事で、何気なく次のような会話を耳にしました。

 「あなたのところは、ご夫婦が揃っておられてよろしいですねぇ」
「まぁ、おかげさまでね、私も主人も、どうにか元気にさせてもらっています。でも、私の周りも、ほとんどがご主人を亡くされて、奥様だけという方が増えましたよ」
「私も、主人を亡くして大分経ちますけど、いなくなってから、主人のありがたみをすごく感じるようになりました。いた時には当たり前だったんですけどねぇ。もっと大事にしておけばよかった(笑)」

何気ないご婦人方の会話でしたが、「有難味(ありがたみ)」ということについて、ふと考えさせられたご縁でした。

仏教は、煩悩を否定します。煩悩が消えて亡くなったところに、本当の幸せがあることを教えています。これは、人間が一般的に持つ幸福観を否定するものです。私達は、自分の願いや欲望が叶うところに幸せがあると思っています。自分の思うがままに生きたいというのが、誰もが抱える本音ではないでしょうか。

しかし、お釈迦様が「人生は苦である」とお説きくださったように、生きるというのは、思うがままにならないことを抱えていくことに他なりません。根本的に、どれほど願いを叶え、欲望を満たしたとしても、年老い、病に侵され、死んでいくという苦しみから逃れることはできません。避けることが根本的にできないものを避けようとするところに、さらなる苦しみが重ねられていくのです。

本当の幸せや喜びというのは、人を押しのけてまで求めるものではなく、普段、私達が当たり前のこととして意識していない中に既にあるのではないでしょうか。それを意識していく心の動きを、仏教では「恩」といい、この「恩」という心を最も大切にしてきた仏教が、浄土真宗なのです。

本願寺中興の祖と讃えられる蓮如上人は、「御恩報謝の念仏」というものを、非常に大切にお説きになりました。浄土真宗を開かれた親鸞聖人は、法然聖人が説かれた称名念仏を、様々な角度から明らかにされています。「御恩報謝の念仏」もその一つですが、親鸞聖人が明らかにされた念仏の意味は、それだけに限るものではありません。しかし、蓮如上人は、御門徒の方々に対して、「御恩報謝の念仏」に限るような説き方をされています。それだけ、御門徒の方々に大切に味わってほしいと願っておられたということでしょう。

「御恩報謝の念仏」というのは、簡単に言えば、口に「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏・・・・」と称えることは、阿弥陀如来に対して「ありがとうございます」とお礼を申していることだということです。この「お礼を申す」ということが、「恩」という心の動きがある証拠です。「恩」という字は、因果の因を心で支え受け止めている形をしています。今の私は、様々な因の積み重ねで出来上がっています。考えてみますと、今まで生きてきたというのは、よっぽどの恵みと善意の中で生かされてきたことに他なりません。それを当たり前のこととして、自分の欲望を満たそうと生きるのではなく、自分の心の上にこれまでの恵みと善意の有難味をいただいていく心の姿を「恩」というのです。

浄土真宗の念仏が、「御恩報謝の念仏」だというのは、すでに如来様の慈しみと恵みの中にある私だからです。何かを求めるための呪文ではなく、私がどれほどの慈しみと恵みの中にあるのかを知らせようとする働きが念仏であり、南無阿弥陀仏と口に称えることは、その慈しみと恵みに抱かれ、深い喜びに包まれながらお礼を申していることになるのです。

今を喜び、今に満足し、今を生きることを教えるのが、浄土真宗のお念仏の道です。お浄土は、その積み重ねの先に開かれてくる世界です。自分を本当に支えているものは、自己主張しません。当たり前のように、そっと私に寄り添っているものです。たいがいは、なくなってから、その有難味を知ることが多いのでしょう。しかし、それもまた、人生における大切な気づきです。

「我、縦鼻横眼なるを知る」、これは南宋にわたり、修行し得た悟りの境地を語った、曹洞宗の開祖、道元禅師の言葉です。鼻が縦についている、目が横についている、その尊さを知ったという意味です。浄土真宗に限らず、本物の仏教は、当たり前の中に、深い喜びと感動を見出していくものなのでしょう。当たり前の日々が、そのまんまで深い感動と喜びに包まれていく、そんな尊い日暮らしを、お念仏申す中にいただいていきたいものです。

2018年8月8日

人生は苦である

先日、寺族の年回忌法要を親戚寺院の方々を中心に正法寺本堂でお勤めさせていただきました。今年、年回忌のご縁を迎えた寺族は三人です。お一人は、第十六世坊守です。五十回忌のご縁を迎えました。前住職の祖母にあたります。そして、お二方が、百回忌を迎えられました。お一人は、第十六世坊守の御主人です。この方は、住職に就任されることなく新発意のまま三十六歳でご往生されています。そして、もうお一人が、第十六世坊守のご長男です。この方も、七歳の時、病気に罹り急逝しておられます。御夫婦とそのご長男の年回忌が同時に巡ってきたのです。

「人に歴史あり」とはよく言うものですが、ご法事というのは、故人の歴史を振り返り、今の自分が、その歴史の上に成り立つものであることを確認する意味もあると思います。百回忌を迎えられたお二人は、命日が、わずか四十日しか違いません。大正八年七月二十五日に七歳のご長男が、そして、大正八年九月三日に三十六歳の新発意が往生しています。後に残されたのは、第十六世坊守と当時二歳だった後の第十七世坊守(前住職の母)、そして、当時の住職の三人だけです。しかし、その住職も、二年後に往生しています。その後、正法寺は、昭和十年に前々住職を迎えるまで、住職不在のまま約十五年間に亘り、第十六世坊守とその長女(第十七世坊守)の二人だけで支えていくことになります。わずか四十日の間に、かわいい七歳の息子と頼りにしていた夫を次々に亡くした第十六世坊守の心境を想像すると、いたたまれない気持ちになります。二歳の娘を抱いたまま、茫然とするしかなかったのではないでしょうか。

「人生は苦である」とお釈迦様は教えておられます。そして、その苦しみを乗り越えていく道を、仏道として教えていかれました。その仏道には、大きく二つの道があります。その二つの道とは、出家の道と在家の道です。出家というのは、世間との繋がりを断ち切り、山にこもり、一人、厳しい修行と学問に打ち込んでいく道です。在家というのは、世間の中に身を置き、仏様の教えに導かれる生活に勤しむ道です。どちらも厳しい道です。一般的には、世間との繋がりを断ち切り、一人厳しい修行と学問に打ち込んでいく出家の道が、厳しい道だと思われているでしょう。しかし、どうでしょうか。確かに出家の道は、厳しいものですが、一方で、世間との繋がりを断ち切る生き方の上には、愛する我が子との死別の悲しみや社会的な責任を一身に背負っていく重圧はありません。出家の道と同じように、在家の道もけっして甘い道ではないということです。どちらの道を歩まれるかは、人それぞれの選択にゆだねられています。しかし、私達、浄土真宗の伝統の中にご縁をいただいた者は、周りに実に豊かに在家の道を生き抜かれた本物の仏教徒が溢れていることに目を向けるべきでしょう。浄土真宗は、インドの国から始まった仏教の歴史の中で、在家の道を代表するような仏教なのです。

七歳の息子と主人を見送り、さらに住職を見送って、母一人子一人になってから三年後、大正十三年に住職不在の中、正法寺仏教婦人会が結成されています。人生苦に直面する中で、お念仏を申し、仏様のみ教えに順い、正法寺の法灯を護り、前向きに正しく生き抜こうとする、そんな在家の仏道を歩む真面目な仏教徒の姿が、多くの御門徒の方々の心を揺さぶったのではないでしょうか。その約三十年後、昭和三十一年に正法寺は、未曽有の大火災に遭い、本堂をはじめ、山門以外の建物がすべて焼かれ、無くなってしまいます。そのわずか五年後の昭和三十六年に現在の本堂が再興されますが、その復興の原動力となっていくのが、当時の正法寺仏教婦人会の方々でした。住職不在の中、結成された仏教婦人会が、お寺を護っていく大きな力となっていったのです。寺族の苦悩と、その苦悩を他人事ではなく共にしようとする、そんな御門徒の方々の思いがなければ、お寺は相続されていなかったかもしれません。まさに、泥の中から咲いた蓮の花のように、泥のような重い苦悩が、見事な仏法の花を咲かせていったのです。これこそ、在家仏教の本領というべきでしょう。

人生苦を遠ざけるのではなく、人生苦の真っただ中を歩んでいく浄土真宗の仏道は、世間の中で多くの方々と一緒に悲しみ一緒に喜んでいく道です。人々の苦悩や喜びの上にこそ、本物の仏道があることを、親鸞聖人は教えてくださったのです。浄土真宗のご法事は、故人の歴史を味わい、その上に咲いた仏法の花を、後の人々が受け継いでいく、尊い仏法相続の場であるべきでしょう。

2018年7月10日

人生が愛されている

最近、お経の中やお寺で聞くご法話の中だけでなく、仏様のお心は、日常生活の色んな場面に転がっていることを感じるようになってきました。先日も、何気なく見ていたNHKの朝の連続テレビ小説『半分、青い。』の一場面に、素直に有り難いなと思えるものに出遇えました。それは、主人公の「すずめ」の幼馴染であり親友の「りつ」という大学生とそのお父さんとの会話です。

久しぶりに実家に帰ってきた「りつ」は、母親が、精神的な病の薬を服用していることを知ります。母親の名前が記された薬の袋を持って茫然とする「りつ」の所へ、父親が現れ、「りつ」に次のような言葉を掛けるのです。

 「母さんは、もうその薬は飲んでいないよ。お前がいなくなって、少しふさぎ込んでいたけど、ボクシングを始めて、今は元気になってるよ。」
「母さんが、ボクシング・・・」
「お前は、母さんのことは心配しなくていい。父さんがついてるから。母さんは、お前の人生を愛しているんだ。だから、お前は心配せずに、自分の人生を精一杯生きろ。」

親としての純粋な愛情を表わした、とても素敵なセリフだと思います。昔から、阿弥陀如来と私との関係を、親子の関係に譬えられることが多いですが、改めて、純粋な愛情とは、どういうものかを考えさせられたことです。

浄土真宗のみ教えは、蓮如上人が、「聖人一流の御勧化のおもむきは、信心をもって本とせられ候」とお示しくださるように、「信心」ということが、根本になければなりません。「信ずる」ということは、「思い込む」ことではありません。かたくなに、訳のわからないことを思いこむことは、信じているのではありません。私の勝手な思いを強めているだけのことです。思い込みの中で出会っているのは、結局、かたくなな私自身でしかありません。「信」とは「まこと」と読むように、「信心」とは、「まことのこころ」、それは、純粋な仏様の愛と慈しみの心をいうのです。この純粋な愛と慈しみの心に出遇っていくことを「信ずる」といい、それは、深く愛されている私自身との出遇いでもあるのです。

人は、自分自身の価値を、どのように判断しているのでしょうか?私のどこに生きる意味があるのでしょうか?多くの場合、それは、人間社会の中において、自分が、どれほど役に立つ存在かどうかではないでしょうか。社会の中において活躍している時、それは、自分は人間社会において意味のある存在です。人は、その時、自信に満ち、時には傲慢にもなってゆきます。しかし、年老いたり病に侵されるなどすると、人の役に立つどころか、人に迷惑さえ掛けていくようになります。すると、社会における自分の価値は見いだせなくなり、「自分なんか生きていてもしょうがない」と卑屈になってゆきます。このような、役に立つか立たないかで命の価値を判断し、他人との比較の中で自分の価値を見定めていこうとする姿を、仏教では、迷いの凡夫というのです。なぜ、迷っているといわれるのか、それは、何者とも比較することのできない本当の命に出遇っていないからです。本当の自分の輝きに出遇っていないのです。

親鸞聖人が歩まれたお念仏の道は、私の人生が如来によって愛されていることへの目覚めの道でもあります。私の都合が愛されているのではありません。私の人生が愛されているのです。生きるというのは、一筋縄にはいきません。どんな人も、何十年と生きていると、言葉にはできない苦労をそれぞれに抱えているのではないでしょうか。全部、思い通りになる人生なんかあり得ません。たとえ思い通りになったとしても、年老い、病に侵され、死んでいくという根本苦からは逃れようはないのです。私の人生が慈しまれ愛されているというのは、恥ずかしいことや悔しいこと、根本苦さえ愛されているということです。私にとっては、忘れたいような恥ずかしいことも、悔しいことも、恐ろしくつらいことも、如来様は愛おしく慈しんでくださるのです。その慈しみの心が、私に現実に響いているのが、南無阿弥陀仏のお念仏です。お念仏を申す中に、深い慈しみと愛に抱かれている私だけの毎日を生き、そして、その深い愛情に応えていくような毎日を精一杯送らせていただくのです。

人生が愛されているのであれば、その人生を私自身がないがしろにするわけにはいきません。また、人生で起こるどんなことも大切にしないわけにはいきません。お念仏申す中、如来様に抱かれながらの精一杯の人生を送らせていただきましょう。

2018年6月5日