New 「無明の闇」

【住職の日記】

先日、保育園関係のある研修会で、三年前の2016年に相模原市で起きた、障害者施設殺傷事件についてのお話を聞かせていただきました。

この事件は、まだ記憶にも新しいと思いますが、2016年7月26日に知的障害者施設である津久井やまゆり園に元施設職員の男が侵入し、所持していた刃物で入所者十九人を刺殺し、職員・入所者合わせ二十六人に重軽傷を負わせた大量殺人事件です。戦後の日本の殺人事件としては、最も被害者が多い、戦後最悪の殺人事件として日本中に衝撃を与えました。

この事件を起こした犯人は、植松聖という二十六歳の男です。事件から三年が経過した今、初公判が令和二年と決定しているだけで、まだ、事件の真相は何も明らかになっていません。この犯人と面会をし、実際に言葉を交わしたという方が、この度の研修会のご講師でした。東八幡キリスト教会の牧師さんである奥田知志先生です。奥田先生は、事件以来、植松被告と文通を続けてきた新聞記者の方から依頼をされ、その新聞記者の方と一緒に面会に立ち会ったということでした。

犯人の第一印象は、とても礼儀正しく、言葉遣いや所作などから、とても良い育ちをしているというものだったそうです。しかし、言葉を交わす中で、植松被告の命に対する非常に偏った主義主張が、重く響いてきたといいます。

植松被告の残虐な犯行は、いわゆる無差別殺人ではありませんでした。人を選んで殺害したのです。施設に押し入ったとき、会う人会う人に対して、名前と住所と年齢を尋ねていったそうです。そして、それに答えられなかった障害者の方々を、次々と刺殺していったといいます。植松被告は、その理由を「役に立たない人間だから」と平然と答え、自分の行いは、社会の役に立つ良い行いだと信じて疑わない様子だったといいます。奥田先生は、植松被告に尋ねます。「あなたは、事件を起こす前、役に立つ人間だったのですか?」この質問に、しばらく無言になった植松被告は、呟くように答えたそうです。「私は、役に立つ人間ではありませんでした。」この犯人の答えに、奥田先生は、胸が締め付けられるような思いを持ったといいます。奥田先生は、この犯人との対話を通し、キリスト教の立場から、命が大事という大前提が、失われていく時代の不気味さを語っておられました。それは、人は、生きているという一点において、平等に尊いという価値観が世界から失われていく不気味さです。

奥田先生は、キリスト教の立場から語られましたが、その内容は、仏教で説く真理と全く共通するものだと思います。仏教で説く煩悩の根源は、自分の都合を中心にして、あらゆるものを分け隔てて捉えていく無明というものです。無明というのは、明るさが無いという言葉通り、物の本当の本質が隠されて見ることが出来ない状態をいいます。

私たちは、命が尊いということを、本当に実感として味わえているでしょうか。実際に、私たちも、あらゆる命の中に、役に立つものと役に立たないものを平然と認めているのではないでしょうか。昔から日本人のお腹を満たしてきたウナギが、近年、激減しています。今、日本中でウナギの命を大切に保護する活動が活発に起こっています。しかし、一方で、農作物にとって害を及ぼすアブラムシが減ってきていることを聞いても、保護する活動など起こりません。むしろ、減ったことを喜んでいるのではないでしょうか。もし、ウナギが、人の食料にならない命なら、これだけ数が減っていることがニュースになるでしょうか。人同士でも、同じことがいえます。社会に貢献している人間が大切にされ、そうでない人間は、生きている意味が見いだせない状況があるのではないでしょうか。

役に立たない命も、同じように大切な意味を持っていることは、本当の宗教を持たない限り、味わうことの出来ない世界なのでしょう。阿弥陀如来の願いは、十方衆生にかけられた願いです。十方衆生とは、あらゆる全ての命です。ウナギもアブラムシも役に立たない人間も役に立つ人間も、老いも若きも男性も女性も、全てのあらゆる命は、如来様に慈しまれ愛されていない命はありません。どんな命も、生きていることが、そのまま愛されていることなのです。

無明の闇に飲み込まれ、命の本質を見失い、残虐な行いを正義の名の下に簡単になしてしまう、そんな不気味さを誰もが抱えていることを忘れてはなりません。そんな私だからこそ、如来様は、見捨てておけないとお念仏に成ってくださったのです。お念仏を申す中に、如来様のお心を、大切に頂いていきましょう。

(令和元年7月1日)

2019年7月1日

「拠り所」

【住職の日記】

先日、ある御門徒のご法事でのことです。お斉を囲む席で、住職の隣に座られた方が、山口県内の浄土真宗本願寺派のあるお寺の世話人を務めておられる方でした。世話人を務める中で、普段、色々と疑問に思うことや、所属寺を護持することの難しさなど、実に様々な悩みや疑問を正直にお話くださいました。その中で、次のような会話がありました。

男性 御門徒方のお寺に対する意識も、これまでとは、ずいぶん変わってきています。お寺の御住職も、経営セミナーのような研修会があればいいと思いますが、いかがですか?」
住職 「そうですね、、、お寺というのは、組織や建物だけが立派になっても意味がないと思うんです。そこで仏様のみ教えが響き、その響きを聞いて喜ぶ人々が集う場所にならないとお寺とは言えません。お寺を護持する目的は、そこで仏様の教えを聞き、その教えを守るためなんですよ。」
男性 「なるほどねぇ。建物や組織は、後からついてくるものということでしょうか。」
住職 「私が住職を務めている正法寺も、昭和三十一年に本堂をはじめ、山門以外のすべてが火災で焼失しました。しかし、その後、わずか四年で本堂が再建されたんです。戦後十年しか経っていない時代です。火災保険もありませんし、御門徒方も貧しかったと思います。それでも、本堂が再び建てられたのは、仏様の教えを喜び求める人達がたくさんおられたからだと思います。」
その時、この会話を横で聞いておられた若い女性の方が、次のようなことをおっしゃいました。
女性 「昔のおじいちゃんやおばあちゃんにとっては、お寺が唯一の拠り所だったんじゃないですか?私の拠り所は、スマホですけど、、、」

若い世代の一般的な感覚を突きつけられた気がいたしました。それは、現代においては、お寺よりも、もっとはっきりとした拠り所になり得る新しいものが溢れているという感覚でしょうか。若い世代の方から、「拠り所」という言葉を聞かせていただいて、改めて仏教を聞くことの意義について、色々と考えさせられたことでした。
お悟りを開かれたお釈迦様によって、万人に向け、仏の真理が公開されてから、約二五〇〇年が経ちます。二五〇〇年という年月は、ものすごいものだと思います。一人の男性が、インドという国でお話された内容が、二五〇〇年間という果てしない年月の中で、一度も忘れられることなく、世界中に伝え残され続けてきたということです。はたして、現代において、世界中の多くの人々の必需品となっているスマートホンは、二五〇〇年後も、同じように残されているでしょうか?おそらく、さらに技術が進歩し、二五〇〇年後どころか、五〇年後には、別のものに取って代わられているような気がいたします。
仏教の伝道の歴史は、文字通り命がけのものでした。三蔵法師と尊称される中国の偉大な翻訳家達が、インドに渡り経典を中国まで持ち帰ることができたのは、ほんの一握りの人々だったと言われています。ほとんどの人が、タクラマカン砂漠で息絶えていったのです。日本の高僧方もそうです。木造の粗末な船に乗って、中国から日本へ経典を持ち帰るのも命がけです。ほとんどの船が途中で沈没し、帰ってこなかったそうですし、帰ってきた船でも、沈みそうになったとき、船を少しでも軽くするために、経典ではなく、人が海に飛び込み命を投げ出していったのです。その他にも、命がけで教えを聞き、守ってきたエピソードは、仏教の中に無数に伝えられています。
本当に命の拠り所になり得るものは、私の命をかけることのできるものだと思います。また、本当の拠り所は、無常の世の中にあっても、決して変わらないものでなければなりません。私と一緒に変質していくものは、所詮、気休め程度にしかならない偽物でしょう。スマホを守るために、誰が命をかけることができるでしょうか?壊れても無くしても、その人は、適当に生きて死んでいくのではないでしょうか。
「拠り所」とは、私の都合を満たすものではありません。私の都合を満たすものは、同時に、私を裏切るものでもあるのです。個人の都合を超え、生き死んでいく私の迷いを断ち切り、合掌せずにはおれない命の輝きに目覚めさせてくれるものが、本当の拠り所といえるものでしょう。本当の拠り所になり得るみ教えが、今ここにいる私に、不思議にも届けられてある尊さを大切にさせていただきましょう。

(令和元年6月1日)

2019年6月1日

「心外無別法」

【住職の日記】
今月から令和元年となり、新しい時代が幕を開けました。新しい時代を迎えることに明るい喜びを感じる反面、平成の時代が終わる寂しさも感じます。

これから、どんな時代になっていくのでしょうか。仏教の言葉の中に「心外無別法」というものがあります。「心の外に別の法はない」という意味です。法というのは、真理、本当の姿という意味でしょうか。心の働きが、あらゆる世界を作り出していく現実を教えている言葉です。

学生時代、大学の先生が、「人間は、頭が良いことよりも、心が豊かな方が人間としての価値があるのです」と何気なくおっしゃった光景が、今も記憶の中にはっきりと刻まれています。二十代前半の頃、受験勉強を終え、頭が良いことが、人として価値のあることと思い込んでいました。それだけに、その時の先生の言葉が、とても新鮮に感じられたのです。仏教というものを、時間をかけて学ばせてもらう中で、今では、そのことを、はっきりと頷ける自分に育てていただいたような気がしています。

仏様が、「心外無別法」と教えてくださっているように、一人ひとりの心の在り方、感受性が、一人ひとりの生きて死んでいく人生の風景を作り出していくように思います。それは、たとえ、元号が新しく変わっても、心が変わらない限り、本当の意味で、新しい世界は訪れないということを意味しているのです。

この心というものについて、親鸞聖人は、大変奥深い考察をされています。『歎異抄(たんにしょう)』という書物の中に、親鸞聖人と弟子の唯円房との次のようなやりとりが記録されています。現代語に意訳してご紹介します。

親鸞聖人
「唯円房は、私の言うことを信じるか?」

唯円房
「はい、信じております。」

親鸞聖人
「それでは、私の言うことなら、何でも背くことなく、言うとおりに行えるか?」

唯円房
「はい、何でもおっしゃるとおりにいたします。」

親鸞聖人
「まず、人を千人殺してくれないか。そうすれば、お前の往生は、確かなものになるだろう。」

唯円房
 「聖人の仰せではありますが、私のような者には、千人どころか、一人の人間も殺すことなどできません。」

親鸞聖人
「それでは、どうして、この親鸞の言うことに背かないなどと言ったのか?」

唯円房
「・・・・・」

親鸞聖人
「これでわかるであろう。どんなことでも自分の思い通りになるのなら、浄土に往生するために千人の人を殺せと私が言った時には、すぐに殺すことができるはずだ。けれども、思い通りに殺すことのできる縁がないから、一人も殺さないだけなのである。自分の心が善いから殺さないわけではない。また、殺すつもりがなくても、百人あるいは千人の人を殺すこともあるであろう。」

人は、生老病死の中で、自分の体を自分の思い通りにできないように、心も自分の思い通りにはできません。どれだけ、心を自分の力で磨いたとしても、鍛えた体も必ず老い病んでいくように、心もまた無常なのです。しかも、心は、ただ老いていくだけではありません。どんな姿に変わっていくか分からないのです。自分で制御しきれないところに、心の正体があることを知っておく必要があるでしょう。

親鸞聖人は、私達の心の正体を考察する中で、仏教においては、信心を頂くことが何よりも大切であることをお示しです。信心というのは、親鸞聖人においては、私の心ではありません。仏様の心のことです。信心を頂くというのは、仏様の心を頂くということです。私自身では制御仕切れず、苦しみや虚しさの溢れる世界を作り出していく私の心を、仏様が制御してくださるのです。仏様の心を頂いていくためには、人の心が紡ぎ出した言葉ではなく、仏様の心が紡ぎ出した言葉を聞いていかなければなりません。清らかな言葉が、私の心に清らかな変化をもたらしていくのです。

令和に至るまで、二四七の元号の時代が過ぎてきました。その間、人の心が、お浄土を作り出したことはありません。人の心の中に染み入る仏様の心を頂くとき、初めて人は、迷い惑う自分から解放されていくのでしょう。大切に仏様のお心を頂いていきましょう。

(令和元年5月1日)

2019年5月1日

人の姿の上に、宗教の姿は現れる

【住職の日記】
先日、お寺の御法座が終わり、御門徒の方々と雑談をさせていただく中で、自然と宗教についてのお話になりました。おおよそ、次のような会話でした。

A「自分は、家が浄土真宗でしたから、自分も浄土真宗の門徒になるのが当たり前に思っていましたが、世の中には、色んな宗教に入る人がいるものですね。自分の親戚の中にも、別の宗教に入っている人がいるんですが、その人の話を聞いていても、なんか変だなと思ってしまうんですよね。」

住職「基本的には、自分にとって救いとなる教えを選べばいいと思います。でも、宗教と呼ばれているものの中には、危険なものもありますから、冷静な目を持つことも大切ですね。子どもの頃からの環境は、とても大事だと思います。宗教について、これはどこか変だなと感じる感覚が身についているかどうかですね。」

B「なるほど、それは、自分もよく分かるような気がします。自分のお婆ちゃんは、お寺が大好きな人で、よくお仏壇に手を合わせてお念仏することを教えられましたが、特別な感じではなく、いつも自然な感じの人でした。よく病気が治るとか、幸せになれるとか、そういった宗教の勧誘があると、『そんなものは、治りゃせん』とケロッとしていました。今も色んな宗教の話を聞きますが、なんかおかしいなという感覚が、自分にも身についているなと思います。」

 宗教という言葉は、明治時代から使われ始めた比較的新しい日本語ですが、直訳すると「宗(むね)となる教え」という意味です。宗というのは、それによって生き、それによって死んでいけるような、自分にとって拠り所となるものという意味です。それは価値観の基準になるものです。

例えば、仏教では、「三宝」という言葉があります。三つの宝物です。三つとは、仏・法・僧のことです。あらゆる命の悲しみを我が悲しみとし、あらゆる命の幸せのために自らを犠牲にしていくような清らかな生き方をされる仏と、その仏が真心をもって生きとし生けるものに語りかけるみ教えである法、そして、その清らかな仏が語りかけるみ教えを聞いて喜び、共に大切に味わっていこうとする人達の集いである僧、この三つを宝物とするような価値観を教えるのが仏教です。そして、この価値観の中に生き死んでいく人を仏教徒というのです。仏・法・僧を宝物とするような価値観を持つ人は、自分の利益だけを貪っていくような生き方に嫌悪感を抱いていきます。逆に、人のために一生懸命になったり、他の命を愛でるような姿に共感していくようになります。争うことを嫌い、和やかな集いを好むようにもなっていきます。どんなものの中に価値を認めていくのかで、その人の前に開けてくる世界は、変わってきます。

危険な宗教というのは、危険なものの中に価値を認めていくような教えを説くものです。それは、他の命を傷つけ自らも傷つき、破滅に向かわせるような教えです。例えば、自分の欲望が満たされる状況を宝物とする価値観を教える宗教があるとします。その教えを宗とする人は、自分の欲望を満たしてくれるもの、お金や社会的な地位や名誉、健康な体などが宝物になっていきます。自分の欲望が満たされるためには、当然、邪魔になるものが出てきます。お金儲けを邪魔するもの、地位や名誉を脅かすもの、健康な体をむしばむもの、あらゆるものが敵になり、争いを好むようになるでしょう。自分の欲望が満たされることが最も大切な価値観の中では、感謝の心は芽生えてきません。食事をしても、いただく命を命とは見ません。自分に美味しい思いをさせてくれるかどうかです。美味しいものは価値のあるものであり、美味しくないものは、役に立たないものです。命が単なる自分の欲望を満たすための道具になります。道具は、壊れても代わりがききます。一つひとつ代わりのきかない命の掛け替えのなさを感受する心が喪失していきます。命を感受できなくなると、当然、自分自身の命も感受できなくなります。年老い病気がちになると、役に立たない道具として生きる意味を喪失していきます。虚しさと愚痴しか残りません。救いを説くような顔をして、破滅に向かわせるもの、これもまた宗教なのです。

人の姿の上に、宗教の姿は現れていきます。理屈は分からなくても、救いに向かわせるような教えとご縁をいただけているということは、本当にありがたいことなのです。恵まれたご縁を大切に、自らも仏法に耳を傾けていきましょう。

2019年4月1日

仏教は、知識よりも智慧を尊ぶ教え

先日、ご縁が調い、ご本山本願寺に布教に関わる研修を、五日間にわたって受講させていただきました。スケジュールを五日間空けることが難しく、前々から受講したい思いはありましたが、なかなか実行に移すことが出来ないでいました。しかし、この度、たまたま様々なご縁が調い、有難くも受講をさせていただくことができました。住職、ご院家さん、先生と呼ばれる日常から離れ、久しぶりに一生徒として学ぶ場に身を置かせていただいた事は、大きな気づきを色々といただいたことでした。

全国から集まった受講生とともに、五日間学ばせていただく中で、他の受講生とも色んなお話をさせていただく機会がありました。年齢は、三十歳代から八十歳代まで様々な年代の方々がいらっしゃいました。それぞれに、色んな想いを持って学びに来られていましたが、その様々な尊い想いに出遇わせていただいたことが、とても有難く感じたことでした。

あるご住職は、お寺を護持していくことが御門徒だけでは難しく、平日は、会社に勤める日常を送られているということでした。課長職として日々世俗の価値観に追われる中で、僧侶としてみ教えときちんと向き合う時間をいただきたいとの思いで、休みをとって来られていました。また、ある方は、浄土真宗のお寺でもご門徒の家の出身でもないにも関わらず、肉親との死別をご縁に浄土真宗のみ教えに出遇われ、お得度をされ僧侶となり、さらにこのみ教えを多くの人々に伝えたいとの強い思いをもって、受講に臨まれている方もおられました。想いはみんなそれぞれでしたが、共通していたのは、それぞれの人生の悩みや苦しみを抱える中で、仏教のみ教えと素直に向き合っていこうとされるとても謙虚で純粋なものでした。この謙虚な想いを持つことが、とても大切なことだと思います。

実は、仏教の教えというのは、聞けば聞くほど分からないことがたくさん出てくるものなのです。なぜなら、仏様の世界は、私達には完全に理解することは不可能だからです。しかし、このように私には分からないものだからこそ有難いのです。私に簡単に分かってしまうものなら、それは、私程度でも理解が出来るつまらないものでしょう。私程度では理解の出来ない尊いものだからこそ、一生涯かけて学ばせていただく価値があるのです。

また仏教は、知識よりも智慧を尊ぶ教えです。知識は、仏教を知的興味の対象として学ぶ中に身についていくものです。それは、たくさんのことを覚え知っているというだけのことです。どれだけ知識を蓄えていても、それは、自らの血となり肉となることはありません。冷蔵庫にたくさんの食材を溜め込んでも、それを調理して頂かなければ、何の役にも立たず、ただ腐っていくのと同じことです。智慧は、私の人生の上に仏教の教えを頂く中において、身についていくものです。それぞれの人生において、謙虚にみ教えと向き合っていく時、喜びの中に響いてくる言葉、悲しみの中に響いてくる言葉があります。その積み重ねの中に、自然と仏様のものの見方、味わい方が身についてくるのです。その身についたものを智慧というのです。

仏教を聞く上において、分からないことがあるのは問題ではありません。それは、今の自分には、響かない事柄なのでしょう。仏様というのは、大勢を前にして、講義のように、同じことを教えているのではありません。その人その人に仏様は寄り添い、その人に応じた言葉を響かせてくださるのです。本当に喜びや悲しみの中に、素直に教えと向き合う時に、仏様のお心は必ず響いてくださいます。それを素直に喜んでいく、お念仏を申す日暮しというのは、その連続なのです。

しかし、私達は、自分勝手な思いを深め、傲慢になっていく性質を根本的に持っています。教えを聞かせていただく身でありながら、教える立場になったり、仏様の言葉よりも自分の言葉を正しいと思いこんだりする中に、迷いを深めていきます。

親鸞聖人が、「親鸞は弟子一人ももたず候ふ」と常々おっしゃっていたことを、唯円という方が『歎異抄』の中に記しておられます。親鸞聖人は、自分を師匠と仰ぐ人々の前においても、教えるという立場をとっておられなかったことが分かります。それは、仏様のお言葉を一緒に聞かせていただく尊い仲間という立場です。八十歳、九十歳になられても、聞かせていただくという立場から決して離れることはなかったのです。これが、教えと真面目に向き合っている方の本当のお姿でしょう。親鸞聖人が、生涯大切に聞かれた同じみ教えを、私達も、それぞれの人生の上において、大切に向き合い聞かせていただきましょう。

2019年3月7日

六道

私達、浄土真宗の流れをくむ者にとって最も大切な御正忌報恩講が、今年も多くの方々の御報謝によって無事お勤めさせていただくことができました。まことにありがとうございました。
御正忌報恩講は、一言で言うと親鸞聖人のご法事です。親鸞聖人の二十五回忌の時、親鸞聖人の曾孫に当たる本願寺第三代目門主の覚如上人という方が、この法事を報恩講と名付けられました。それは、親鸞聖人の御恩に報いる集まりという意味です。
この度、三重県から布教使の内田正祥先生をお招きし、三日間にわたって本当に有り難いお取次ぎをいただきました。その中で、二日目の夜座、大逮夜のご縁に、六道の中での人についてお話しをくださいました。六道というのは、地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天という仏教の世界観を説いたものです。迷いの存在は、この六世界を経めぐっていくというものです。善意を受け取る心を喪失し、あらゆるものが鬼となり、自らが苦しみの極まりに落ちていく地獄、足るを知らず貪り続ける餓鬼、恥ずかしさを忘れ欲望をむき出しにしていく畜生、他人を蹴落としていくことだけを求めて生きる修羅、有頂天になり物事の本質を見失う天、これらの世界は、誰もが落ちる可能性を秘めています。その中で、人という世界は、これら五つの世界に生きる在り方を省みて、自らの生き方を申し訳ないものとして自覚できる世界だといいます。そして、人の世界に住む者だけが、お寺にお参りし仏法に耳を傾けていくというのです。仏様の言葉に耳を傾けていくというのは、地獄・餓鬼・畜生・修羅・天の世界に住む者には決してできないことです。人の世界に住んでこそ、仏様の言葉は身に響くのです。
この度、そのことを目の前ではっきりと教えられたことがありました。それは、六道のお話を聞かせていただいた報恩講二日目の夜座が終わった後のことでした。参詣者も帰られ、後片付けが終わり、明日に備えて休もうとしていた午後十一時過ぎのことでした。お寺で飼っている猫が、鳴きながら帰ってきました。いつも、十一時前後に一度帰ってくるのですが、いつもと鳴き方が違いました。いつもは、二声ほどしか鳴かないのですが、その日は、何度も興奮したように鳴き続けます。何かあったのかと思い、慌てて部屋から廊下に出てみると、ものすごく大きなネズミが猫の足元に横たわっていたのです。猫は、飼い主に獲物を見てほしかったのでしょう。何度も嬉しそうに住職の足元にすり寄ってきました。その後、ネズミを口で咥えて、廊下の隅まで運び、そこでネズミの体を一心不乱に食いちぎって食べていました。猫の姿としては、自然なことです。しかし、報恩講の中日に、その姿を目の当たりにしたことで、色々と考えさせられたことでした。
私達人も、生き物を殺し、その肉を口にしていきます。他人が殺した生き物を口にすることも同じことです。生き物の肉を口にし、美味しいと微笑んでいく姿は、ネズミを食いちぎる猫の姿と何ら変わりはありません。しかし、違う点は、人の世界に住む者は、その姿を申し訳ないと慎んでいくことができるところだと思います。報恩講の三日間は、お寺では肉や魚は口にしません。それは、報恩講の三日間は、親鸞聖人の御遺徳を偲ぶ中で、普段の自らの生き方を省みて、慎んでいくからです。
数十年前までは、正法寺の報恩講は、朝・昼・晩と一日三食のお斎が用意されていたと聞かせていただきました。報恩講期間中は、子どもも大人も早朝からお寺に参詣をし、お精進のお斎を頂いて、学校や仕事場に向かっていたそうです。また、それぞれの御門徒のお家でのお食事も、三日間、お精進のお料理をいただかれていたとも聞かせていただきました。日常生活に追われる中にあっても、きちんと自らのあり方を省みて、慎み、教えに耳を傾けていく、そのような人間らしい生き方を大切にしておられたのでしょう。
報恩講期間中、お寺に住み、鐘の音を耳にしながらも、自らの姿を省みることなく、いつものように殺生をし喜んでいる猫の姿は、胸に痛みを覚えるものでした。なぜなら、私自身も、そんな畜生の世界に住む可能性を秘めていると改めて教えられたからです。仏法を聞くご縁をいただくことは、本当に難しいことだと思います。しかし、如来様は、決してあきらめず喚び続けてくださいます。自らを省みることのないものの姿を悲しんでおられます。
人としての心をいただきながら、獣のような一生を送ることは、自らの命に対する裏切りです。無常迅速の命を生きる私達です。お寺にお参りし、仏法に耳を傾けていくことを、努めて大切にさせていただきましょう。

2019年1月28日

平成時代の終わりに思う

明けまして、おめでとうございます。今年も、御門徒の皆様と共にお念仏に薫る温かい日々を大切に過ごさせていただきたいと思います。
さて、本年四月で平成の時代も終わりを迎えます。一抹の寂しさを感じますが、時代の変わり目に出会わせていただくというのも、ありがたいことのように思います。現在のように一天皇一元号になったのは、明治からだそうです。慶応までは、一天皇の間に、事あるごとに元号は変えられてきました。元号が変えられる理由の多くは、地震や台風などの災害だったそうです。不幸なことが起こると、新しい時代に期待を込め、切り替えていくという意味があったようです。親鸞聖人が生きられた西暦一一七二年から西暦一二六二年までの九十年間の元号を調べると、実に三十もの元号があります。それだけ、災害や飢饉等も多く、人々の心が荒んでいった時代でもあるのでしょう。
そんな中、親鸞聖人の最後のご法語として伝えられているお手紙が現在まで大切に遺されています。この手紙の最後には、「文応元年十一月十三日 善信八十八歳 乗信御房」と記されています。親鸞聖人がご往生されるちょうど二年前に書かれたものです。善信というのは、親鸞聖人の房号です。昔の僧侶は、房号という親しい人達の間で呼び合う時のお名前をお持ちでした。親鸞聖人の正式なお名前は、善信房親鸞です。乗信房というお弟子に宛てられたお手紙であることがわかります。
この手紙の書き出しは、次のような言葉で始まります。

 「なによりも、去年・今年、老少男女おほくのひとびとの、死にあひて候ふらんことこそ、あはれに候へ。」

文応元年の前年は深刻な冷害で、食べ物が日本中から無くなる大飢饉が起こりました。『百練抄』という当時の記録には、京都壬生の少女が、死体を食べたという現実が記されています。道路には、死体や人骨が無数に横たわっているとも記されています。まさに地獄のような光景です。朝廷が、元号を新しく変えたのも頷けます。その地獄のような光景を、「あはれに候へ」と親鸞聖人も記されています。しかし、その後に次のように続けられます。

 「ただし生死無常のことわり、くはしく如来の説きおかせおはしまして候ふうへは、おどろきおぼしめすべからず候ふ。」

去年から今年にかけて、大人も子どもも、無数の人々が飢え死にしていった有様は、悲しいことですが、驚くことではありません。と記されているのです。それは、生まれたものが死んでいくことは、すでに如来様がお説きくださっていることであり、なにも特別なことではないからです。八十八年間、三十回近く元号が変わってきたような時代を生きてこられ、飢饉や災害で、無残に死んでいく人々を、これまでいやというほど目の当たりにしてこられたに違いありません。
そんな中で、最晩年の親鸞聖人が、最後に何を語っておられるのか、大切に耳を傾けていかなければなりません。続いて、次のように記されています。

「まづ善信が身には、臨終の善悪をば申さず、信心決定のひとは、疑なければ正定聚に住することにて候なり。さればこそ愚痴無智の人も、をはりもめでたく候へ。」

少し難しい言葉ですが、親鸞においては、どのような死に方をしようとも構わないとはっきり申されています。もがきながら飢え死にしていくこともあるかもしれない、地震に襲われ、突然悲劇の最後を迎えるかもしれない、しかし、どんな終わり方をしようとも、阿弥陀如来によって仏に成ることが約束されている身であるから、死すべき時が来れば、それもまた有り難いご縁だというのです。
まさしく、死の縁は無量です。私達は、死に様をあげつらい、「あの人の最後は可哀そうだった」「あの人は早すぎた」と勝手な人生の評価をしていきます。しかし、人の人生の価値は、死に様やその長さで計るものではないと、親鸞聖人はおっしゃるのです。無残に多くの人々の命が奪われていく様は、悲しいことですが、災害や飢饉に襲われなくても、人は必ず死んでいかなければならないのです。必ず死んでいくものが、今生きていることの不思議に思いをいたし、生きている今、何に出遇い、何を聞き、何をするべきか、それが大切だとおっしゃるのです。
時代や社会がどのように変わったとしても、仏に成っていくような尊い歩みを、死すべき時まで大切にさせていただきたいものです。

2019年1月8日

理解ができなくても、教えられたことは、まずやってみなさい。

先日、ある御門徒のご法事で、お斎をいただく際、こんなことがありました。お斎というのは、仏事の時に供される食事のことをいいます。最初に、合掌して、みんなで食前の言葉を口にした時のことです。食前の言葉というのは、ご本山で推奨されている「頂きます」のご挨拶です。最初に住職か御当家の当主が「多くのいのちと皆様のおかげにより、この御馳走を恵まれました」と口にします。それに続いて参詣者全員で「深く御恩をよろこび、ありがたくいただきます」と口にするのが、正式な形です。しかし、多くの場合、この食前の言葉を覚えていない方がほとんどで、参詣者全員で口にする箇所も、住職一人で口にし、後の方々は、合掌したまま聞いているだけのことも多いのです。それが、その時は、四十歳代と五十歳代の男性お二人が、後の句をご一緒に口にしてくださったのです。お二人は、御当家の息子さん方ですが、普段は、山口県外でお仕事をされておられ、お寺のご法座でお見掛けしたことは一度もありません。食前の言葉を言い終わった後、お二人がニコニコされながら「覚えてるもんやなぁ」と一言おっしゃったので、どこで覚えたのかをお尋ねしました。すると、お二人とも、正法寺が運営する嘉川保育園の卒園児で、保育園を卒園した後も、中学生になるまで日曜学校に通っていたということでした。子どもの頃、保育園や日曜学校で食事をいただくとき、友達と一緒に合掌して口にしていた言葉が、まだ消えずに残っていたのです。日曜学校を卒業してから四十年以上、口にしていなかった言葉が、自然と口に出たことが、とても懐かしく嬉しいと感慨深くされておられた姿が印象的でした。

昔、仏教を教わったある先生から、こんなことを言われたことがあります。

「理解ができなくても、教えられたことは、まずやってみなさい。やっているうちに、意味が味わえてきます。納得してからやろうと思っている人は、いつまで経ってもすることができません」

若いころ、この言葉を聞いた時には、正直なところ、あまり実感として響きませんでした。しかし、年齢を重ねるにつれ、この言葉の意味するところが、ありがたく味わえるようになってきました。これも如来様のお育てのおかげです。

考えてみますと、世の中には、分からないことや納得のできないことの方が多いのではないでしょうか。世の中は、私の理解できるものばかりで出来ていると思っている人は、とても視野の狭い人かもしれません。どこまでも視野が広がり、どこまでも成長し続ける人というのは、不思議で世界が満たされている人なのではないでしょうか。親鸞聖人や法然聖人のような歴史に名を刻む偉大な宗教者の方々は、お歳を召されても、幼少の時と変わらないキラキラとした驚きや感動をもっておられます。親鸞聖人や法然聖人が遺された言葉は、何百年経過しても、人に感動を与え、目覚めさせていく力を持っています。それは、相手を納得させようとして紡ぎだされた理屈ではなく、ただただ仏智の不思議に驚き感動するキラキラとした心から紡ぎだされたものだからです。

仏教というのは、本来、人の理屈では説明のできない、不思議な事実を教えていくものです。教えの言葉を伝えることはできても、その言葉が伝えようとする不思議に驚き感動していくのは、その人一人一人の感受性の問題です。その人自身が体験しなければ、伝わらない事柄があるのです。

食事を毎日頂くということに、どんな驚きと意味があるのか、それは理屈で理解しても意味がありません。頭の中で理路整然と食事をいただくことの意味を説明できることと、本当に実感として掛け替えのない命を毎日頂いていることへの驚きを持つことは別のことです。その驚きを持った人が、食事の時、どのような事を口にし、どのようなお姿をとられるのか、それを形として教えてくれているのが、合掌して頭を下げ、食前食後の言葉を口にする姿なのでしょう。

手を合わせなさい、頂きますを言いなさい、と教えられた時、「なんでそんなことを・・・」と言う前に、素直にうなづき、教えられたとおりにさせていただく、そのような柔らかく純粋な心が、その人に多くの大切なことを気づかせ、正しい道を開いていくのです。

本当に愛情を持って教えてくださる言葉を疑うことは、大きな罪です。仏様というのは、深い慈しみそのものであり、最も愛情深い働きです。その仏様が教えてくださること一つ一つに素直にうなずいていく中に、自然と真実の歩みが恵まれてくるのでしょう。

2018年12月1日

電気が流れていない電線

先日、ある御門徒の方から次のようなお尋ねをいただきました。

「御住職さん、母の七回忌が、おそらく三年後ぐらいになると思うのですが、それぐらいまでは、私もなんとか元気に過ごせるものと思っています。でも、その後の十三回忌は、元気でいられるかどうか心配なんです。その頃、私も九十歳前になります。生きていても、母の法事を責任もって勤められるかどうか不安です。それで、十三回忌のご法事を五年くらい早めて勤めてもらうのは、いけませんか?私がいなくなったら、私以外に当家の法事を勤める人はいません。これから、母の法事をはじめ、当家の法事はどのようにしていったらいいのでしょうか?」

最近、正法寺門徒の方々の中でも、こういった後継者に関する切実な悩みが増えていることを感じます。時代が変わり、社会の価値観が変わり、家を継ぐという意識は確実に希薄になっています。江戸時代から続く、いわゆる伝統的な檀家制度の中で営まれてきた仏教寺院の活動の在り方も、問われていく時代になりました。

現在も残っている檀家制度は、西暦一六一二年に江戸幕府がキリスト教禁止令を出したことに始まります。江戸幕府は、国民一人一人にキリシタンではないことの証明として、どこかの仏教寺院に所属することを義務付けたのです。そして、仏教寺院に対しては、所属し檀家となった国民に対して、寺請証文という証書を発行することを義務付けました。この寺請証文は、旅行や引っ越しの際にも必要とされ、いわゆる現在のパスポートのような役割もありました。どこの仏教寺院にも所属せず、寺請証文を持たない人は、非人とされ、社会生活から除外されなければならなかったのです。江戸幕府は、仏教寺院に宗教統制を行う機能だけでなく、国民の戸籍を管理する役所の機能も持たせたのです。当然、仏教寺院は、社会的に大きな力を持つようになり、人々は、仏教寺院を中心に生活を送るようになります。所属する寺院の住職に法事を勤めてもらうというのも、社会生活を送る上で、絶対に欠かしてはいけないことでした。もし、寺院との関係が希薄になれば、社会から除外される危険が常に国民の上にはあったのです。

こういった江戸時代から続く仏教寺院に対する怖れの意識は、現在においても根強く残っているように思います。檀家制度というのは、これまで仏教寺院を支えてきた反面、その繋がりは、必ずしも宗教的な心情で繋がってきたものとはいえないところがあるのです。また、この制度は、お寺と仏事を形骸化させてしまった面もあります。

元々、檀家という言葉は、檀波羅蜜(ダンパラミツ)という仏教用語からきています。檀波羅蜜というのは、他人に財を施す布施を意味する言葉です。檀家というのは、寺院に対して布施をして経済的に支援する家という意味です。しかし、浄土真宗の寺院では、寺請制度があった江戸時代においても檀家ではなく、御門徒と呼んでいました。門徒というのは、同じ道を歩む仲間という意味です。それは、国民を管理する側の僧侶も、管理される側の門徒も、同じ阿弥陀如来から願われている仏の子であり、お念仏という同じ尊い道を共に歩んでくださる大切な仲間だからです。そこには、たとえ社会がどのように変化しても、決して変わることのない仏教精神が流れていました。そして、浄土真宗の御門徒は、寺請制度が息づく社会にあっても、お寺と仏事の意味を見失うことなく、大切に仏法を伝えてきた面が大きいのです。

阿弥陀如来は、私一人を大悲してくださっています。仏法は、本来、私が聞かせていただく教えであり、私が歩ませていただく道です。決して、人のために利用するものではありません。お寺も法事も、私のために用意されてあるのです。お寺や法事という形そのものにこだわるのではなく、私の生死に深く関わる問題として、お寺も法事も味わっていくべきでしょう。

電気が流れていない電線は、いくら最新の高機能のものであっても、存在価値はありません。常に電気が流れていてこそ、電線の存在価値はあるのです。お寺や法事も同じです。形式だけ残っても存在価値はないのです。お寺や法事という形式の中に、ビビッと痺れるような超世俗的な仏教の心が流れていなければなりません。時代が変わっても、生老病死という人の抱える根本苦悩は変わらないのです。どのような時代になろうとも、人として大切にすべきものが何であるのかを見失うことなく、大切に仏法に関わっていきたいものです。

2018年11月1日

東本願寺と西本願寺の違い

先日、九月二日に開催された三十六回目となる公開講演会に、同朋大学の蒲池勢至先生をお招きしました。蒲池先生は、浄土真宗の御門徒の中で脈々と受け継がれてきた習俗や風習を研究する真宗民俗学の研究者です。「真宗門徒のゆくえ」という演題でお話しくださった講演も、大変ありがたいものでしたが、控室で、東本願寺と西本願寺の違いについてお話しくださったのも、とても興味深いものでした。
蒲池先生は、東本願寺をご本山とする真宗大谷派のご住職です。正法寺は、西本願寺をご本山とする浄土真宗本願寺派のお寺です。西本願寺と東本願寺は、元々一つの本願寺ですが、四〇〇年前に東西に分裂して以降、現在に至るまで、同じ親鸞聖人を宗祖と仰ぎながら、全く別の教団組織として活動してきました。山口県内には、東本願寺のお寺が三か寺しかありません。一方で西本願寺のお寺は、六三〇か寺を超えます。山口県で、真宗大谷派のご住職にお会いするのは、本当に稀なことなのです。それだけに、蒲池先生から聞かせていただいたお話は、とても新鮮で興味深いものでした。
その中で一つご紹介すると、お供え物に対する解釈の違いがあります。西本願寺では、お仏壇にお供えする果物やお菓子は、「お供え物」と書きます。しかし、東本願寺の方では、「お備え物」と書くそうです。これは、「供える」という文字に、「私が仏様に差し上げる」という意味があるからだそうです。本来、お仏壇のお飾りは、仏様のお心や働きを形として私に示してくださるものです。お供え物も、私が差し上げて初めて完成されるのではなく、本来備わっているものを、私がさせていただいているだけという解釈をするそうです。
一方で、西本願寺の伝統は、お供え物を本来備わっている物とは解釈しません。それは、お供え物というのは、仏様に対する敬いの心を表わすものと解釈するからです。お供えさせていただくお菓子や果物は、如来様から恵まれたものです。その点では、東本願寺と同じ味わいです。しかし、恵まれたものを仏様に供えるという行為は、その人の仏様を敬い感謝していく心の表れであり、西本願寺では、その行為を尊く大切なものとして認めていきます。しかし、西本願寺でも仏様に願い事を叶えてもらうため、自身の極楽往生を実現するため、などの祈願を目的に供え物をすることは、否定されています。おそらく東本願寺の方では、このような祈願の行為に陥る危険性をできるだけ排除する意識から、供えるという言葉を嫌ってきたのでしょう。どちらの伝統も、それぞれに有り難さを感じます。
実は、他の宗教にはない仏教における大きな特徴の一つが、この教団にあるのです。仏教では、帰依すべき宝物として、仏・法・僧の三宝が示されます。仏とは、悟りを開かれた清らかな仏様、法とは、その仏様が説かれたみ教え、僧とは、そのみ教えを尊び敬っている人々の和やかな集いを意味しています。僧とは、本来、インドでは、お坊さんのことではなく、僧伽(サンガ)を意味していました。この仏教徒の集い、つまり教団を宝物として、帰依する対象とするのは、仏教の大きな特徴なのです。
なぜ、教団が帰依すべき宝物なのでしょうか。それは、仏教の教えは、人の上に現れるからです。キリスト教やイスラム教のような啓示宗教の場合、人は、預言者が語る神の言葉に導かれます。その神の言葉が記された書物を聖書といい、この唯一の聖書が根本となります。しかし、仏教の場合、教えというのは、八万四千の法門と言われるように、仏様の言葉が記された経典は無数に存在します。それは、仏教という教えが、人の上に現れるものだからです。人は、それぞれに心を持ち、それぞれに人生の苦悩を抱えていきます。それは、一様ではありません。まさしく千差万別です。お釈迦様が説かれた歩むべき道は、その違いを持った一人一人に応じて説かれたのです。仏教徒一人一人の生き方の上に、言葉では語り尽くすことのできない教えの深みと尊さが現れていきます。その仏教徒達の後ろ姿に導かれ育てられてきたのが、仏教教団の伝統なのです。実際に、経典や僧侶が語る言葉よりも、祖父母の合掌する姿やお念仏される後ろ姿に育てられた人が多いのではないでしょうか。
それぞれのサンガ(教団)の存在は、そこに集う人々が、それぞれの生き様と死に様の上に、仏様のみ教えを響かせてきた証でもあるのでしょう。仏教は、人々が集うサンガの中に身を置くことで、はじめて教えられ育てられるものなのです。お寺にお参りし、さまざまな和やかな集いの中に身を置くことの大切さを、改めて確認させていただきたいものです。

2018年10月10日