「させていただいた御報謝」

先日、あるご法事の席で、九〇歳を超えられた男性の御門徒の方が、住職に次のような話を聞かせてくださいました。

「御院家さん、正法寺は、昔から他のお寺とは違いましたよ。まだ、私が三〇歳になるかならないかの頃、正法寺の客殿を新しく作るということで、御門徒各戸に若い男性に手伝いのお願いが来たんです。私も手伝いに参加したんですがね、集まってきたのは、みんな二〇代三〇代ばかりで、歳がいってても四〇歳にいくかどうかの人達でした。その大勢の若い衆が、お寺にあった大きな松の木を切り倒して、製材して、二間続きの客殿を建てたんです。それが、まもなくして、例の火災で、本堂と一緒に全部燃えてなくなってしまったんですよ。でもね、御院家さんも聞いていると思いますが、火災で正法寺が全部なくなってからは、女性は、朝から晩まで子どもを背負いながら、寒い中、山口県内中を本堂再建のための募財を募るために、托鉢行脚でしょ。男衆は、女性が托鉢に出かけている間、今の興進小学校の周りに団地ができている所から、真砂土を掘り出して、人力で正法寺まで運んでね、焼け跡の境内をきれいに地ならしをして、本堂を建てる準備をしとったんですよ。ええ時代でしたね。御門徒以外の方々も、みんな募財に協力してくれましてね、今の正法寺が再建できたんです。正法寺の御門徒はね、昔から御報謝させていただくことが、身に沁みついておりましたよ。」

昭和三十二年に正法寺が大火災に遭い焼失したことは、正法寺に関わる者にとって、決して忘れてはならない出来事です。昭和三十二年といえば、今からちょうど六〇年前になります。この年の年末にカラーテレビの実験放送が開始されていますから、今からすると、相当昔の時代という感じがします。当時、小学生だった方から、「興進小学校からお寺が燃えているのがよく見えた」等のお話しを聞かせていただくことは、今でもよくあります。しかし、当時、御門徒の一人として、火災後の正法寺の復興に直接関わった方のお話というのは、なかなか聞くことができない状況になってきました。今回、火災前に、客殿を新しく建て替えていたことも、初めて聞かせていただいたお話でした。時の経過とともに、色んな事が忘れられていくことは寂しいことですが、お寺というのは、これまでの先人方のご苦労が、そのまま徳として残っていくものであることを感じます。

「御報謝(ごほうしゃ)」という言葉は、浄土真宗の特徴が表れている言葉です。他の御宗旨の檀家さんが、お寺のお手伝いをすることを「御報謝」とは言わないでしょう。「御報謝」という心をもって、お寺と関わっていくところに、浄土真宗門徒の仏教徒としての尊さがあります。報謝というのは、「恩に報い、徳に感謝する」という意味をもっています。その報謝に「御」をつけて、「御報謝」というのは、「する」ことではなく「させていただく」ことだからです。

この「する」という心の持ちようを「自力」といいます。そして、逆に「させていただく」という心の持ちようを「他力」というのです。「他力」というと、「人に任せて自分は何もしない」という意味を連想しますが、本来、「他力」というのは、「おかげさま」と頂いていく心の有り様を支えていく働きをいうのです。たとえば、お寺の為に手伝いをすることを「私がする」と味わうと、当然のことですが、それは「私の力をそこに働かせた」という慢心を生んでいきます。しかし、浄土真宗の御門徒方は、「私はさせていただいた」と味わってきたのです。それは、「本来、私にはできないことをさせていただいた」という喜びとおかげさまという感謝の心を生んでいきます。その背景には、私のことを深く慈しみ悲しんでくださる阿弥陀如来の願いがあります。阿弥陀如来に深く願われて、私はさせていただいているのです。自分が得をするために一生懸命になる人は、この世に五万といます。しかし、自分の得にもならないことを一生懸命に行ない、一つのお寺を建てていくことは、稀有な方々です。しかも、それを自分がした功績として慢心するのでははく、あくまで「させていただいた御報謝」として喜んでいく姿は、只人を超えた妙好人と讃えられる本物の念仏者のお姿というべきでしょう。

先人の方々が一生懸命に御報謝された正法寺を中心に、今年もお念仏の日暮らしを大切にさせていただきましょう。

2017年12月27日