「ちしき」

【住職の日記】

先月から、中国を中心に新型コロナウイルスが、世界で猛威を振るっています。日本でも、日々、感染者が増えている状況です。目に見えない小さなウイルスが、世界中の人々に大きな不安をもたらしています。病というのは、お釈迦様がお示しくださる人間の根本苦の一つです。生あるものにとっては、誰もが例外なく病の苦しみを背負っていかなければなりません。逃れられない根本苦だからこそ、この度の新型コロナウイルスも世界中で一大事となっているのでしょう。

このようなウイルス性の病が流行すると、いつも妙好人浅原才市さんの詩が思い出されます。浄土真宗の御門徒の方々の中には、妙好人(みょうこうにん)という言葉で讃えられる方々がいます。阿弥陀如来のお浄土に咲く妙なる花を妙好華と言いますが、妙好人と讃えられる方は、まさしく、お浄土の清らかな輝きを、この娑婆世界において放つような、妙なる方々のことです。その妙好人と讃えられた方のお一人が、浅原才市(あさはらさいち)さんです。島根県の温泉津町という小さな田舎町に暮らした方で、幕末の嘉永三年に生まれ、昭和七年に八十三歳の生涯を閉じています。船大工や下駄作りを生業とし、仏法聴聞を人生の中心にして生き抜いた方でした。文字の読み書きは元々できなかったそうですが、大工仕事をしているうちに、見よう見まねで、平仮名に片仮名を混ぜて、どうにか文字が書けるようになっていったそうです。下駄を削りながら、道を歩きながら、お寺にお参りしている時など、その時その時に心にフッと浮かんだ仏法の味わいを、書き留めるようになっていきます。自由に書き留められたその深い味わいは、優れた宗教詩として、死後三十年以上経って、東京大学の鈴木大拙博士によって世界的に紹介されるようになります。現在、島根県温泉津町には、その威徳を慕い、浅原才市像が建てられています。
浅原才市さんが、熱心に足を運びお聴聞をした安楽寺には、才市さんの宗教詩を刻んだ句碑が建てられています。そこに刻まれている次の宗教詩が、いつもウイルス性の病が流行すると、思い出されるものです。この詩は、あの北原白秋が目にして、その天才的な詩的才能に驚愕したと伝えられています。

「かぜをひくと せきがでる
才市がご法義のかぜをひいた
念仏のせきが でる でる」

 短い詩ですが、深いお念仏の味わいが、豊かに表現されています。ウイルスという人の眼には見えないものの働きが、風邪という病の症状を引き起こしていきます。風邪にかかると出る咳は、私の意思の力で出しているものではありません。眼に見えないものの働きによって、出てしまうものなのです。出したくなくても喉の奥から込み上げるように出てしまう咳は、私が、風邪をひいた証拠です。同じように、本来、お念仏を称えるはずのない私の口に、南無阿弥陀仏とお念仏が出てくださるのは、私のことを深く願ってくださる阿弥陀如来のお慈悲の風邪をひいた証拠なのです。風邪をひき、咳き込む苦しさの中に、ふとお念仏の尊さを味わい、書き留められた詩なのでしょう。病という苦しみが、仏法を味わう尊いご縁になっておられることが分ります。
お釈迦様は、生老病死という逃れることのできない人間の根本苦を越えていく道を仏道という形で教えてくださいました。しかし、それは決して根本苦から逃げる道ではなかったのです。苦しみを抱えるまま、本当の仏道を歩む人には、その苦しみの中に尊い意味を味わう世界があるのです。浅原才市さんは、次のような詩も詩っておられます。

「世界のものが ことごとく
ちしきに変じて
これをわしによろこばす」

「ちしき」というのは、善知識、私を正しい方向へ導いてくださる仏教の先生のことです。人生には、私の都合を喜ばせる順縁となる人々、逆に、私の都合を邪魔し苦しめる逆縁となる人々がいます。また、人だけではありません。様々な出来事や、ウイルスのような眼には見えないものまで、順縁と逆縁があります。しかし、善きにつけ悪しきにつけ、苦しみ楽しみにつけて、あらゆるものが、私にお念仏を喜ばせてくださった人生の尊い教師であったと合掌してゆける心の視野が開かれているのです。これこそが、根本苦を超えていく真実の仏道を歩んでいる仏教徒の姿といえるでしょう。

どんな思いがけないことが起こっても、それもお念仏の尊いご縁として、大切にさせていただきましょう。

(令和2年3月1日)

2020年3月1日